土屋きみやす−ツッチーレポート

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2018年9月6日(木) 13:26

9月になれば

 「9月になれば」、昔こんな題名の洋画があり、この季節になると主題歌のイントロのメロディを口ずさみます。曲の全体も、映画の内容も憶えていませんが、私にとっては季節の主題歌のようなものになっております。
 さて今年の夏は記録的な猛暑続きと災害が多く、高齢者の私も(絶対、ゴルフ場で熱中症にはならないぞ!)と気を付けておりました。
 9月に入っても大型台風や地震が続いております。
 大雨、台風、地震などの災害被害を受けられた方々に心からお見舞いを申し上げ、またお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 幸い、被災地の親戚や友人たちは無事のようです。
 息子のお嫁さんの実家は大阪の豊中ですが、むこうのお父さんは大型の台風21号の停電中、エアコンもテレビもストップで、家の中は暑く、することが無いから自転車に乗ってまちの被害状況を視察していたとか、レストラン&ライヴハウスを経営している札幌の甥っ子は、6日朝の地震被害は電源以外は特に無かったとのこと、などなど、日本中が心配の昨今です。

 さて、私にとっての今年の夏の思い出は、なんといっても甲子園を沸かせた秋田の金足農業高校の活躍と、行方不明になっていた2歳の少年を救助した、とても感動する出来事でした。

 山口県で3日3晩、山中でたった一人で生き抜いていた少年を救助した、あのボランティアの尾畠春夫さん、何度テレビで見ても感動しました。
 私が総理大臣なら、この秋の叙勲で、彼に紅綬褒章と緑綬褒章をダブルで差し上げます。
 紅綬褒章は「自己の危難を顧みず人命の救助に尽力した人」が対象で、緑綬褒章は「長年にわたり社会に奉仕する活動(ボランティア活動)に従事し、顕著な実績を挙げた方」が対象です。
 私の周囲で褒章を受章した人はいましたが、皆さん藍綬褒章か紺綬褒章で、紅綬褒章と緑綬褒章はいません。
 そうそう、いました。2005年の秋の褒章で、JR福知山線脱線事故の時に救助活動を行った日本スピンドル製造という会社が受章していましたが、その時の社長が高校時代の同級生でした。

 今回の尾畠さんは、発見場所の警察署の署長だったかと、町の功労者表彰を授与されていましたので、内閣府の褒章も辞退はしないと思いますが、出来ればあの時の服装(ボランティア時のTシャツに赤いタオルの鉢巻き姿)で、授賞式に臨んでもらいたいと思います。

 スポーツの不祥事続きの街ネタに辟易している皆さんも、大喝采する事と思います。

 安倍総理!
 総裁選や憲法改正より、一般大衆(国民)に寄り添わなくても良い(気持ち悪い)から、人の心を忖度する政治家を目指して下さいな。

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2018年8月21日(火) 17:35

忙しい8月も半ばを過ぎて・・・。

 例年のことながら、8月は菩提寺で行われる1日の施食会(施餓鬼)、13日から15日までのお盆が最大の行事です。


 12日に盆棚(写真)をつくり、13日に迎え火。



14日にはお坊さんを迎えて棚経(写真)。15日に送り火で御先祖を黄泉の国へお送りし、一応終わり。


 夏休みは、1泊で西伊豆の雲見に行って来ました。
 駿河湾はフィリッピン海プレートが本州側のプレートに沈み込んでいる日本で最も深い湾で水深2500mあります。



 ここ雲見ジオサイトの烏帽子山は標高たったの162mですが、急峻な登山道を、下の海から吹き上げてくる心地よい風を背に受けて登ると、とても興味ある風景が見られます。





 頂上本殿裏の見晴らし台から見降ろす千貫門(写真上)や岩地方面の景色(写真下)など、ご覧ください。遠くには富士山も良く見えました。

 2日目はいつも通り過ぎるだけで行っていなかった堂が島に立ち寄り、有名な洞窟巡りをしました。



船から見上げた動画もご覧下さい。



 あわしまマリンパークにも寄り、帰りは東名を使わず、熱函道路→箱根十国峠→箱根新道→小田厚を帰ってきました。
 箱根新道で追突事故の影響か、渋滞に遭ってしまいましたが、その結果、厚木の246号線沿いのファミレスでは、スロットマシーンのサービスがあり、なんと6000円以上の食事代が無料になりました。
 将に”人間万事塞翁が馬”、「吉凶は糾える縄の如し”。

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2018年7月30日(月) 21:45

夏本番の7月は

 最近の官僚の不祥事(安倍総理夫婦との森友学園や加計学園に関する共謀、セクハラ、贈収賄の不正入学、総理周辺の公平性を欠く各省事務次官などの人事等々)を追求するのに疲れたので、今回は私の近況など。

 私にとって7月は大好きな富士(登)山と祇園会(ぎおんえ)の月。

 今年の富士登山は7月12日〜13日に行いました。
 当初は6月の下旬(山開き前)に行こうと思っていたのですが、「連れて行ってくれ」という友人とのスケジュール調整から7月にし、更にお天気の具合を見て、1週間遅らせたのですが、それでもやはり12日の登りは雨に降られてしまいました。
 翌日13日のお天気は良くなったのですが、急登はんが続く富士宮口の8合目より上は文字通り“胸突き八丁”、今年1年間の他の山登り不足の私には厳しく、潔く(いさぎよく)3、200メートル程でリタイアして下山しました。





 写真は下山途中で日が登った静岡県側の富士宮登山道7合目あたりから見た、美しい東雲(しののめ)です。
 やはり、登山は単独で、自分のペースで登るのが一番です。
 8月か9月の始めに、久し振りの富士吉田口ルートを1人で登ろうかと思っております。

 そして京都の祇園祭。
 当初は昨年と同じ17日の山鉾巡行(やまぼこじゅんこう)に行って、山鉾の引き回し(竹と水で車輪の方向転換を何回かで行い、コーナーを90度廻る)の迫力を間近で見たかったのですが、17日には関係する会社の取締役会議があり、1週間後の昨年から復活した後祭(24日)のほうに行って来ました。
 前日の23日に京都につき、歩いて京都駅から五条大橋→清水寺の下あたり→4条大橋→祇園辺り→錦市場などを散策しましたが、やはり真夏の京都を歩くのは結構きつかった(約18、000歩ほど)です。

 24日は後祭(「あとのまつり」の語源)本番。
 ホテルの朝食を済ませてから、4条河原町の交差点に行き、高島屋の日陰になるコーナーで山鉾が来るのを待ちました。
 間近で引き回しを見る事が出来たので、祇園会を充分堪能いたしました。






 10時に開店した高島屋からの時折涼しいエアコンの風が背中にスーッと漂い、案外苦労せず、山鉾巡行を観賞する事が出来ました。  午後は一旦ホテルに戻り、夕方から少し涼しくなった京都の4条から3条辺りを散策。
 そのまま神輿が御旅所(おたびしょ)から八坂神社に御帰りになる渡御(とぎょ)を拝見いたしました。

 25日は、西国三十三観音霊場の16番札所清水寺→同17番六波羅蜜寺→同18番頂法寺六角堂(華道池坊の発祥地)→同19番行願寺革堂とお参りし、般若心経や延命十句観音経、真言などを唱え、御朱印を掛け軸と納経帳に頂いてきました。
 昔お参りした時に貼った私の千社札(納札)が、六角堂と革堂にそれぞれ残っていて、思わず感動いたしました。

 ということで、7月はヨットが1回だけ、ゴルフも1回と少なかったのですが、京都から夜の11時頃帰ってきた翌日の26日は大学の校友会湘南支部のコンペが芙蓉カントリーであり、参加して参りました。
 やはり、前日まであの暑い盆地の京都で3日歩き廻った翌日のゴルフで、スタートからボギー→トリプルボギー→ダブルボギー→トリプルボギーの9オーバー。OUT残りの5ホールは欲もなく淡々とプレーし計48。午後も欲もなくプレーし続けたらなんとINは41で回り、トータル89.
 高齢者の多い中でもあり、ベストグロス!
 更にハンデ改正で19も頂いたのでパープレー(芙蓉カントリーはパー70)で優勝でした。



 8月1日は菩提寺の施食会(せじきえ)=お施餓鬼(おせがき)。  13日〜15日はお盆
 あとはヨットにゴルフに海遊びなど、せいぜい真っ黒くなって、夏を楽しみま〜す。(笑い)

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2018年7月8日(日) 16:35

特定非営利活動法人

爆音訴訟調査研究センター

から取材を受ける。

厚木基地の騒音訴訟を国に対して起こしているNPO団体から、機関紙の特集記事掲載用のインタビューを受けました。
 いろいろと解説するより、掲載された文章をお読みいただくのが最も良いと思いますので、ここにアップさせていただきます。

 永いインタビュー記事ですが、ぜひ全文をお読みください。
























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2018年7月4日(水) 18:24

「あらまほしきことのは」

―柳瀬唯夫首相秘書官(当時)の場合―

 愛媛県職員に「首相案件」だと脅しをかけたのに、すっ呆けて国会では「首相という言葉は使いません」などと柳瀬さんは言っていたが、それなら「総理案件」といったのだろうが、それは本論からは外れた単なる“論理のすり替え”であり、“言い逃れ”だ。
 ちょうど、安倍総理が「記録にない」「記録にない」と言い逃れていたのと同じだ。
 私が野党の国会議員なら、「たとえ記録になくとも、あなたの記憶にあるでしょ?」とっ言ってやる。健忘症や認知症でない限り、腹心の友と会った日の事や、話した内容を記憶にないとは言わせない。やはり安倍晋三は最下級の政治家だ。

 さて、この柳瀬唯夫首相秘書官(当時)だが、話が橋本龍太郎内閣時代に遡ることをお許しいただきたい。
 1997年、旧通産省大臣官房に『政策実施体制審議室』なる部署ができて橋本行革がスタートした。この時に選ばれた選りすぐりの役人の一人がこの柳瀬唯夫さん。他に、今をときめく野党の江田憲司さんは政務秘書官として、また私が現職市長当時に全国市長会の海外研修で一緒に北欧に行った岡山県美作市長の萩原誠司氏も80年入省の最年長のメンバーだった。

 また、平成七年に私が大和市長に当選した大きなエポックとなった決起大会は、橋本龍太郎通商産業大臣(当時)が応援に来てくれたからである。

 その最大功労者は甘利明さんである事も付言しておくが、この時代の橋本龍太郎さん、江田憲司さん、萩原誠司さん、など皆さんを良く知っているからこそ、柳瀬さんには晩節を汚して欲しくない。

 しっかりと記者会見を開き、加計疑惑の実話を開陳し、謝罪し、出来る事なら、日大アメフト部の違反タックルをした選手のように、「悪いのは内田監督ならぬ安倍総理だ」と言って欲しい。

 しかし、世間では、前川喜平前文部科学事務次官を「信用できない」と悪く言ったり、中村時広愛媛県知事を「マスコミから注目されたいだけの人物」と評価しない人もいることは確かである。悲しい事だが、現政権支持者にはそのような人が多いし、私の周りにもいる。

 ところで、現在のように国を任せられる政治家がいない時には、甘利さんの支持者は(つくづくあの時の不祥事が無ければ・・・・)、と思っているであろう。
 私もそう思ったので、ある時、甘利さんをよく知っている私の厚木高校時代のバスケットボール部の1学年後輩にあの事を(あの当時の清島とかいう秘書が悪かったのだろうな)と話したら、「あれは甘利の親父の頃からの古い付き合いの業者だから、秘書が勝手にやったのではない。甘利の指示だ。」と言っていた。
 彼は、「厚木青年会議所時代、甘利は俺のカバン持ちだった」といつも自慢げに豪語している。
 幾つになっても、特に質実剛健のナンバースクールである厚木高校の先輩と後輩とはこんなもんである。

 次回は多分、先日インタビュー取材を受けたものが活字化されるので、それを転載するつもりでいる。

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