土屋きみやす−ツッチーレポート

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2018年4月7日(土) 14:48

予知・予感・予測・偶然など、不思議な出来事。

 別に予言者でもなんでもないが、大きな事件に近くで遭遇することがある。
 昔、ダッカハイジャック事件の同じ日に、偶然インドの空港から飛び立ち、インド上空の機内で隣に席のアメリカ人から事件発生を聞いた。機上で、近くで起きているハイジャックのことを聞くのは、エキサイティングなものである。
 日本坂トンネル事故の時、沼津から東名に乗ろうとしたら直前でストップさせられ、Uターンして近くのレストランで食事をしていたら、大事故のニュースが・・・・・。
 他にも、東名高速や小田原厚木道路で事故や車両火災の横やすぐうしろで遭遇した事はちょくちょくある。 

 自分自身も2〜3回死にかけているが、不思議と生き永らえている。

 話はかわるが、写真は昨年夏、友人のクルーザー(モーターボート)に乗るため、安良里港に行った時に撮った加山雄三さんのプレジャーボート「光進丸」である。



 この度の火災沈没事故で、遺影になってしまったが、この時、なんとなく淋しさを光進丸から感じてこの写真を撮ったのを思い出す。

 さて、自殺者も出た「森友学園事件」である。
 悪運の強い、と言うか、意図的にか、マスコミや野党の追及をかわすべく、ここで防衛省の不始末(イラク日報問題)が露見したが、森友事件は加計問題と共に、このまま有耶無耶にしてはいけない事件なのである。

 冷静に考えていただきたい。
 もし、安倍総理の言うように安倍さんも昭恵夫人も全く無関係であるならば、決裁文書に無関係の総理夫妻に関することを記載し、更にそれを改ざんした財務省理財局に対してもっともっと怒るべきであろう。
 逆に、“適材適所”と称して佐川氏を国税庁長官に栄転させたのは、どう考えても安倍夫婦を守ったからの“論功行賞”であろう。
 佐川(さん)や理財局、財務省が、本当に無関係だった安倍夫婦に“無実の罪”(?)をかぶせたとしたら、まったくもって愚かな忖度官僚である。

 昭恵(あきれ、ではない)夫人の秘書をしていた谷査恵子という人は、安倍総理の意向を忖度した内閣府か経済産業省か外務省によってイタリアの日本大使館1等書記官へ“論功行賞による栄転の海外逃亡”をしたが、これも安倍夫婦には全く関係ないのであろうか?大いに疑問である。

 ここで私の予知である。
 佐川さん、谷さん、ほかの関わった人たちがこのまま安穏として生き続けてゆくとはとても思えない。
 彼らが、そして安倍夫婦が、普通の人間(なにも人格者である必要はない)あるならば、近々何か起こる!

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2018年3月14日(水) 13:40

最近読んだ本と、北朝鮮や森友学園の事など。

 最初に北朝鮮問題。
 北の金正恩は、「韓国与(くみ)し易(やす)し」と冬季オリンピックで確信し、以来現在も“微笑(ほほえみ)外交”を積極的に進め始めた(アメリカに対しても・・・)。
 万鋒号で選手22人と200人以上の美女(?)軍団(?。1人も良い女はいなかったけど・・・?)などを送り込んだが、万鋒号の燃料を始め、多くの物資の提供を受けているはずである。韓国が負担した選手と美女軍団の韓国滞在費用は28億6000万ウオン(2億8400万円)といわれている。
 北への制裁なんのその、北の韓国に対する外交戦略はまるで女の人を口説くように、手を握り、肩に手を回し、抱き寄せ、次は・・・・・・、である。
 韓国の大統領は舞い上がっているが徐々に併合されるか、ドンとしっぺ返しを食うか、冷静に見極めなくてはならない。
 そして韓国のみならず我々も、決して北朝鮮が過去に起こしたテロや暗殺を常に思い出さなくてはならない。
 全斗煥大統領を殺そうとしたラングーン事件、大韓航空機爆破事件、最近のクアラルンプール空港での金正男暗殺事件など、いつまた起こすかわからない。あの恐ろしい国が本当に核兵器を放棄するのであろうか?

 独裁者に突っ走る習金平の中国も怖いし、海外で暗殺を平気で起こすロシアの独裁者プーチンも怖いが、この2国についてはいずれ言及する。

 その前に立派なリーダー不在の日本が心配である。

 さて、遂に自殺者まで出た“森友学園”問題。日々の出来事でマスコミを賑せているので、いつのタイミングでこのブログを更新するか迷っていたが、前回予告した佐川国税庁長官が、確定申告の真っ最中(というより、部下の自殺を知り)サッサと辞任をしたので、今回とりあえずこれから“佳境に入る(?)森友学園騒動?(疑惑?・疑獄?)”についてブログを更新しておく。  この男、週刊文春によると国税差し押さえの土地に1億円の豪邸を建て、公用車を使いまくり、国税庁長官としての記者会見もせず逃げ回り、そのホテル代は税金で払うという、生涯年収8億円の官僚である。
 理財局長当時の国会答弁で、明確(というより高飛車)に安倍総理と昭恵夫人を守り通した(つもりの)“論功行賞”で国税庁長官に栄転したが、いずれは近々国会の参考人招致など、トカゲのしっぽ斬りのしっぽに成り下がり、末路はドンドン哀れになる男である。
 キャリアはノンキャリアを育て、助けるべきであるのに、死に追いやった。この罪は重い。
 この男の事件は、佐川急便事件ならぬ安倍夫婦を救けた(つもりの)“佐川救(安)倍(べー)事件”である。

 まもなく辞任するであろう麻生財務大臣だが、総理大臣時代“漢字が読めない総理大臣”として名を馳せ、国民の失笑を買っていたが、安倍総理と共に四文字熟語の「論功行賞」と「適材適所」を使い間違えたか、それぞれの意味を知らないのであろうか?

 まもなく総理大臣のみならず代議士も辞めざるを得なくなるであろう安倍さんと、その昭恵とかいう軽薄総理夫人にも、私は辟易している。
 顔のことは言いたくないが、安倍さんの薄い唇から発せられる言葉に重みが無く、虚偽が感じられる。こちらも軽佻浮薄そのものである。
 以前も書いたが、嘘やごまかしを言っている時の目は泳いでいる。「目は口ほどにものをいう」の悪い例である。

 世の中で今回「アッキード事件」といわれている、あの昭恵さんについては、・・・・・・・・。バカバカしいので止めときま〜す。

 さて、最近読んだ本であるが、本屋さんに『後藤新平伝』(サブタイトル「未来を見つめて生きた明治人」)という本を見つけたので、買って読んでみた。後藤新平に関する本はほとんど読んだつもりでいたが、管見にして平凡社発行のこの本のあるのを知らなかった。ところどころ私と解釈や評価・分析の違いはあるし、内容のほとんどは承知している事だったが、この著者の星亮一さんの解り易く読みやすい文体に惹かれて、他の著書も読むことにした。
 会津関連の著作が多いが、とりあえず『白虎隊と会津武士道』を読み、いま『新選組と会津藩』を読んでいる。

 『白虎隊と会津武士道』のプロローグに昭和三十二年の九十年祭の時に全国の著名人から白虎隊についての感想を求め、文集を作成した事が書いてあり、そこには渋沢秀雄、宇野浩二、山本周五郎、高浜虚子、浅沼稲次郎、鈴木茂三郎、などの心打たれる名文が紹介されている。
 そして感想を求めたのに返信が無かった人物として、首相の岸信介と元首相の吉田茂を挙げており、岸は会津と犬猿の仲である長州山口県、吉田はこれまた会津に攻め入った土佐高知の出身である、と書いてあった。

 会津人が今回の“森友学園問題”の推移を、どんな気持ちで見ているのであろうか?
 安倍総理は岸信介の出来そこないの孫であり、麻生財務大臣は吉田茂の出来の悪い孫である。

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2018年3月5日(月) 09:22

第一回総選挙当選者の続き。このところ思った事(朝鮮半島問題、佐川国税庁長官問題)や、最近読んだ本について。

 第一回総選挙で当選した人物で、今までに紹介した他の偉大な政治家を、ここに一挙に列挙してみる。
 まず、
 島田三郎。
 当初、私が紹介しようとしていた当選者には入れていなかったが、先日、古い書類の類を燃やしていたら、添付のような新聞記事の切り抜きが出てきた。不思議な事だが、本人から(私も紹介して)、という天啓のようだったのでここに紹介する。



 嚶鳴社幹部として立憲改進党創立に参加、神奈川第一区から出馬、当選。以来連続亡くなるまで14回当選。業績としては、この新聞記事のように、キリスト教の諸活動、廃娼運動、足尾鉱毒被害者救済、矯風事業、普通選挙の拡張運動などに尽力した。

 次に、中島信行。
 土佐の出身。幕末には武市半平太の土佐勤王党、坂本龍馬の海援隊、龍馬の死後は陸援隊に参加。
 維新後、新島襄に出会い、キリスト教に入信。
 外国官権判事、兵庫県判事、ヨーロッパ留学、神奈川県令、元老院議員、自由民権運動に参加、板垣退助らと自由党結成に参加、副総理となる。自由民権運動への取り締まりの一つである保安条例で横浜に追放される。
 その後の第一回総選挙で神奈川から出馬して当選。初代衆議院議長。後にイタリア特命全権公使、貴族院議員に勅選。維新の功績により男爵に。
 最初の奥さんは陸奥宗光の妹だったが死別、後妻が有名な女性解放運動家の岸田俊子で紹介をしたいが、話が横道にそれるのでここでは省略。
 とにかく、坂本龍馬の薫陶を受けた土佐の志士であった。

 その次に尾崎行雄。
 三重が選挙区だが生まれは神奈川の津久井。
 第一回総選挙以来、連続25回当選。これは今後も破られないであろうし、世界記録でもある。更に議員連続年数も最高齢議員も記録保持者であり、“憲政の神様”と称される最も偉大な政治家であるが、其の当選回数や年数のみならず、数々の業績がある。
 あまりにも有名な憲政の神様であるので、この人物については改めて別に紹介する。

 土佐の出身だが大阪から出た中江篤介。
 有名な中江兆民である。若い頃、土佐海援隊に出入りし、坂本龍馬から「煙草を買って来てくれ」と声を掛けられたのを生涯誇りにしていたという逸話がある。
 明治維新後フランスに學び、ジャン=ジャック・ルソーを日本に紹介、自由民権運動の理論的指導者となる。
 「東洋のルソー」と呼ばれた。
 この人物ももっと評価されるべきであり、機会があったら更に紹介したいと思う。

 陸奥宗光。
 和歌山から出たが出身はこの人物も土佐。
 亀山社中から土佐海援隊において坂本龍馬と行動を共にしており、龍馬をして「二本差さないても食っていけるのは俺と陽之助(宗光の明治以前の名)だけだ」と言わしめた。
 明治維新後は、政治、外交に手腕を発揮、版籍奉還・廃藩置県・徴兵令・地租改正などに辣腕をふるったが、その思想の根幹には大きく龍馬が影響を与えている。
 徳川幕府時代の不平等条約である修好通商条約の改正を実現した外務大臣(カミソリ大臣と呼ばれた)として実現させたのも彼である。
 龍馬の思想の体現者と言っても良い。

 犬養毅。
 尾崎行雄に続く当選回数と期間(18回連続当選42年間)保持者であるが、むしろ総理大臣として有名。
 明治期の政治家や頭山満、ガンジー、ネル―、タゴール、孫文、蒋介石らと交流があったが5・15事件で暗殺された(「話せばわかる」、「問答無用」のやり取りが有名)。
 この人物については、皆さんの方が詳しいかもしれないので、この程度で終える。

 土佐(高知県)選出の竹内綱、林有造、片岡健吉、植木枝盛もそれぞれ魅力ある人物であった。

 まず竹内綱。
 吉田家に息子を養子に出したが、この息子が後の吉田茂である。
 経歴は省略する。

 林有造。
 自由民権運動家、逓信大臣、農商務大臣などを歴任。やはり土佐の出身であるから板垣退助らとの政治歴が強い。

 片岡健吉。
 自由民権家、衆議院議長などを務めた。
 この人物も板垣退助ら行動を共にしていた土佐の政治家である。

 植木枝盛。
 やはり土佐の出身であるから、自由民権運動の理論的指導者の思想家であり、政治家であった。
 土佐の立志社についてなど、ここに書きたいことはたくさんあるが省略する。
 明治14年、100近くあったといわれる私擬憲法の中で、最も民主的で急進的な内容とされる『東洋大日本国国憲按』の起草者であり、これは、私が大学で憲法問題(現行憲法の成立や、最近話題の憲法改正など)の講義をした時に、必ず『五日市憲法』と共に紹介した名憲法草案である。

 さて、尾崎行雄(咢堂)、自由民権運動、坂本龍馬と明治時代の政治思想との関りは改めて書くが、今回はここまで。

 朝鮮半島問題(冬季オリンピックでの北の政治利用の上手さと韓国のおめでたさ)、佐川国税庁長官と森友疑惑、最近読んだ本、についても、長くなるのでこれらは次回。

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2018年2月17日(土) 16:49

第一回衆議院議員選挙で当選した人々(続き)と、近未来の本当に怖い予測。

 まず明治23(1890)年に実施された衆議院議員選挙の“綺羅星の如き”当選者の続き。

 まず高田早苗。
 最初の衆議院議員選挙において全国最年少で埼玉2区から当選した政治家でもあり、教育者でもあった。
 早稲田大学というと我々は、大隈重信を思い浮かべるが、その大隈と共に早稲田大学の前身である東京専門学校の設立に尽力し、早稲田大学が総長・学長制を敷くと初代学長に就任(初代総長は大隈)、後に総長にも就任している。  早稲田の式服、式帽、校旗、職制などを定め、教旨の制定など発議した。  早稲田大学に学んだ人々は、必ずや「高田早苗記念研究図書館」で多くの時間を割いて勉学に励んだ事であろう(私が青山学院大学の間島記念図書館でいつも勉学に励んでいたように・・・笑)。
 その以前に高田早苗は政治家であり、また言論人でもあった。東大文学部を卒業後、大隈の立憲改進党に加わり、読売新聞主筆であったが第一回議会招集の時に読売新聞の主筆を退任している。
 政治家としては衆議院議員を通算6期務め、第2次松方内閣(大隈と連立した松隈内閣)の外務省通商局長。この時に株主として参画していた読売新聞からの退社を広告した。第1次大隈内閣(板垣退助との連立だったので隈板内閣ともいう)で文部省参事官、高等学務局長、参与官兼専門学務局長となる。一度政界から離れた後、貴族院議員に勅撰されたが、第2次大隈重信内閣で文部大臣を務めた。

 次に津田真道。
 先に第一回総選挙において東京8区で当選する以前の略歴を書き出してみる。
 美作(岡山)津山藩の生まれで江戸に出て、蘭学を箕作阮甫と伊東玄朴に、兵学を佐久間象山に学んだ。藩籍を脱しての苦学であったが、蕃書調所(徳川幕府の洋学研究教育機関で、東京大学の前身の一つ)に雇用され(幕臣となった)、文久2(1862)年には西周と共にオランダに留学。帰国後、講義録をまとめた『泰西国法論』というヨーロッパの法制に関する翻訳本を出した。これは日本で最初の西洋法学の紹介であった。目付に就任し、大政奉還の頃には徳川家中心の憲法案を構想した(『日本国総制度』)。
 明治維新後は司法省に出仕して『新律綱領』の編纂に参画、その後、外務権太丞として全権伊達宗城の副使となり日清修好条規提携に関わり、陸軍省では陸軍刑法を作成した。他にも裁判官や元老院議官を務めた。
 明治六年には福澤諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之、西村茂樹らと「明六社」を結成。
 明治二十三年の衆議院議員当選後、初代衆議院副議長に就任。
 明治二十九年には貴族院議員となる。

 さて、前半は難い内容の第一回総選挙当選者の紹介でしたので、今回は2人に止めて、次に近未来の怖い話。

 北朝鮮が核兵器保有国になったと思われた頃から、私は「韓国の経済力と、北朝鮮の核保有軍事力が、“南北統一”という名の元に1つの国家になる」という近未来予測を想定した。これは日本にとって、経済的にも、軍事的にも、脅威である。
 その予兆は昨年の9月25日付けのこのツッチーレポートに書いた(韓国大統領の北朝鮮に対する8億円と言われる人道支援案という)すり寄りである。もともと親北的な立場の現在の文在寅大統領のこういったスタンスを北朝鮮は決して見逃さないことは、今回の冬季平昌オリンピックでの北の動きが良い例である。北朝鮮を侮ってはいけない。あの軍事力は(使うか使わないかは兎も角)決して張り子の虎ではない。どの核保有国は核兵器を使ってはいないが強力なカードになっている。

 日本との大きな外交問題は、韓国が主張する領土問題(我が国固有の領土“竹島”に関する強硬なスタンス)と、慰安婦や少女像の2つの問題である。

 領土問題はロシア(残念だが敗戦による結果である北方4島)と中国(これは断固として対応するべき我が国固有の尖閣諸島)と共にしっかり主張し、時と場合によっては実行動も辞さないという覚悟が今の政治家には必要である。

 慰安婦問題のお金の事だが、
 @ 韓国が慰安婦支援の財団を設け、そこに日本が10億円拠出。
 A 日韓合意当時生存していた元慰安婦47人のうち34人にそれぞれ約1億ウオン(約1000万円)を支給、合意前に死亡した199人については、親族ら68人に約2000万ウオン(約200万円)払った。
 と言った合意が実行されたのである。にもかかわらず、現政権はガタガタ言って混乱させている。
 これって、国家そのものが“あれ”をしているか、“あれ”になったようで、至極不愉快である。

 最後に動画をご覧ください。


 前回2月2日のツッチーレポートで甘利さんの事を書いたら、翌日の節分で甘利さんと一緒に豆を撒くことになってしまった。
 甘利さんは第1回目に撒き、私は第2回目に撒く予定だったが、甘利さんが遅れてきて私の隣に来てしまった。
 私が紹介された時、「あっ、市長歳男なの?(私の事を今でも市長と呼んでいる)」と、話しかけているところがこの動画である。
 どうでもいいけど・・・・・。

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2018年2月2日(金) 17:14

もう2月!ちょっと恥ずかしい写真を2枚ご覧ください。

 前回までに、第一回の総選挙(衆議院議員選挙)の当選者のうち、まず大江卓、河野広中、田中正造の3名を紹介した。
 次回から出来るだけ多くの衆議院議員の当選者を紹介するが、ここでとりあえず名前のみを先に紹介しておく。
 高田早苗、津田 真道、中島信行、尾崎行雄、中江篤介、陸奥宗光、犬養毅、竹内綱、林有造、片岡健吉、植木枝盛などなどであり、とりわけそのうち、坂本龍馬の影響下(というより亀山社中や土佐海援隊時代からの同志)の中島信行、中江篤介、陸奥宗光、高知県選出では竹内綱、林有造、片岡健吉、植木枝盛などの人物が見え、将に”綺羅星の如き”政治家たちである。

 またまた、それに引き換え今の政治家は・・・、である。
 ここに、今となってはチョッと恥ずかしい写真をご覧いただきます。



 これは安倍さんが第一回目の内閣を組閣した頃の写真だったと記憶しているが、私にとって、今となってはあまり有り難くもないツーショット であり、むしろチョッと恥ずかしい写真である。

 先日ちょうどテレビをつけたら、衆議院予算委員会か何かでの答弁の場面だった。安倍総理が森友学園や加計問題の答弁をしていたのだが、質問者の顔を見ないで机の上の答弁書原稿を読んでいた。
 名誉校長の昭恵夫人が、森友学園の一件で、「何も関与していない」とか答弁していたが、その顔にはまざまざと”嘘をついている答弁を読んでいる”、と書いてあった。恥ずかしい!
 品川のホテルで週何回も逢っているのに”男女の関係はなかった”と強弁していた人を思い出した。

 この所の寒さで、薪ストーブを使う事が多いが、点火の際に古紙を使う。  こんな新聞まで出てきた。



 誤解の無いように、甘利明さんと私とは同志である(あった、かな?)。
 私が平成七年の市長選挙に当選できたのは甘利さんのお陰が大である。
 でも、あの時に私でなく、もし石川公弘さんが市長に当選していれば、この選挙区の長い歴史の勢力図からすると、衆議院議員は甘利さんでなく、冨澤篤紘さんがずっと当選し続けていたであろう事を考えると、あの時の市長選挙で私が勝利したのは、同時に甘利さんにとっても大きな意味があったのである。
 選挙の勝敗とその後の政治生命を艦が見(かんがみ)た時、同志だったからこそ、同志だからこそ、私は厳しくその政治姿勢を見つめ続けている。甘利さんは県立厚木高校の後輩でもある。
 もう直ぐこの 新聞は燃やしてしまうが、事実は消し去ることはできない!人の記憶も・・・・・。
 
 「政治は最高の道徳である!(べきである!)。」

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