土屋きみやす−ツッチーレポート

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2018年12月4日(火) 16:15

恒例の
“うかい亭 クリスマス ランチ ライヴ”
が無事に終了いたしました。

 毎年行わせていただいております年末恒例の「クリスマス ランチ ライヴ」を、横浜うかい亭(所在地は大和のつきみ野)で開催させていただきました。 



 昨年は春にジャズのランチライヴを行いましたのでクリスマスは2年ぶりの実施でしたが、多くの方にお出でいただき、無事に終了いたしました。

 開会の挨拶(私)、横浜うかい亭の細田支配人の挨拶、副料理長の特別メニューの紹介(写真)と続き、乾杯(音頭は私)と進み、皆様にはその後ご歓談をしていただきながら、お料理を楽しんでいただきました。



 本当は1テーブル8人で10テーブル(計80人)くらいが適正な広さなのですが、お陰さまで毎回多くの方に申し込みを頂きますので、うかい亭に無理を言って99人(9人×11テーブル)まで、毎年申し込みを受け付けさせていただいておりますが、今回は、御都合の悪い方や他のイベントと重なってしまった方などで、90数人の方にお出でいただきました。

 1時間ほど御食事をしていただいた後、メインデイッシュの肉料理のあたりから、大学の後輩たちと編成しているバンド「セレクテッド ブルー マウンテン ボーイズ」の演奏をお聴きいただきました。



 家内が1曲(「When I’m Gone」)、私(「Cuckoo Bird」)、後輩の染村さん(「Thinking About You」)と続き、また私が1曲(「Harbor Of Love」)、そして姉のエラ斎藤(純粋の日本人)が2曲(「Tennessee Waltz」、「Amazing Grace」)、バンド演奏(「Foggy Mt.Breakdown」)とお聴きいただきました。

 そのまま第2部として、今回初めて試みました「曲名(唄っている人・バンド名など)を当てていただく御客様参加ゲーム」を行いました。
 賞品はアメリカオレゴン州産のワイン、うかい亭のクッキー、焼酎、果実酒などを準備いたしました。

 ジャズ2曲(「My Funny Valentine」、「What A Wounderful World」)、演歌1曲(「俺は絶対プレスリー」は誰の曲か?答え吉幾三)、ポピュラーの曲名と歌手かバンド名3曲(ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」、ジョン・デンバーの「Take Me Home Country Road」、アリスの「チャンピオン」)、C&W1曲(「Jambalaya」)、などを主に私が唄い、早い者勝ちで答えていただきましたが、複数の方々が手を挙げたり、題名を間違える人がいたりと、結構盛り上がり、楽しい雰囲気で進みました。

 また音楽ばかりでは判らない方もいらっしゃるかと思い、平成という元号では最後のパーティですので、「元号」に関する問題を3つお出ししました。
 @ 平成・昭和・大正・明治の前の元号は何か?(答え「慶応」)
 A 1〜2年で換わってしまった元号の中で、桜田門外の変(井伊大老が殺された)が起きたのは?「○○元年」か?(答え「万延」)
 B 歴史上最初の元号は何か?(「答え「大化」)

 最後に1つ残った賞品は、この日(12月2日)に最も誕生日が近い人にプレゼントさせていただきました。

 こうして後半の1時間もあっというまに過ぎ、最後に「Will Meet Again Sweetheart」を1番染村、2番石橋、3番私が唄い、ステージを終了いたしました。

 そしてお帰りには、皆様にステージの前にディスプレーしてありましたシクラメンをお持ち帰りいただきました。

 来年も出来るかどうかわかりませんが、お帰りになる時に多くの皆様から「来年も絶対やってね」といわれました。

 お出でいただきました皆様、本当にありがとうございました。

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2018年11月25日(日) 18:56

年末の今日この頃

 先日、高校時代同期だった友人の「茶陶とうつわ」展があり、新宿に行って来ました。因みにこの友人は萩焼の陶芸家で、今や山口県指定無形文化財萩焼保持者で、昨年、旭日双光章を授かっております(いわゆる叙勲)。案内状と彼の作品をご覧ください。









 あいにく今回はお昼時に行ったので、食事に行っている本人岡田裕君とは会えませんでした。

 というのも、東京に行ったついでに、駒場東大前の日本民藝館で開催中の白磁展(柳宗悦の朝鮮白磁コレクション約150点が展示)が最終日だったので、日の高いうちにそちらに向かったのです。






 そしてそのまま近くの旧前田侯爵駒場本邸(洋館と和館)や駒場公園などを散策してきました。本格的な紅葉はまだでしたが、紅葉や桜、雪景色などの季節も見ごたえがありそうな、また来たくなる風景が沢山ありました。以前行った前田家ゆかりの金沢にも、鎌倉別邸(現在の鎌倉文学館)にもまた行きたくなりました。










 ところで、久しぶりに小田急で新宿に行き、こちらも久しぶりな井の頭線で新宿→下北沢→駒場東大前→渋谷と、大学時代の通学経路を懐かしく乗り継ぎました。
 小田急の鶴川を過ぎたあたりでは(この辺にガールフレンド?の家があったなぁ)とか、井の頭線では満員電車のいろいろな思い出(痴漢はしなかった)が、脳裏にまるで走馬灯のように浮かんでは消えました。
 渋谷にはちょくちょく来ているのですが、最近の変貌ぶりには驚きの連続です。もちろん今は、あの当時の恋文横丁も百軒店もハチ公前の池もありません。

 そうそう、そういえば、私が「東京に行ってきた」というと、お嫁に来た当時の家内は、「その東京に行くという地方の人みたいな言い方は止めてよ。渋谷に行くとか、銀座に行くっていってよ」といっていましたが、最近では家内も「東京に行く」といいます。

 最後に、12月2日にうかい亭で「クリスマス ランチ ライヴ」を開催いたします。
 お蔭様で、既にほぼ満席(11テーブル×9人)の90数名の御返事を頂いておりますので、ここではフライアーだけでもご覧ください。



 無事に終了いたしましたら、ご報告をさせていただきます。

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2018年11月1日(木) 15:03

最近の雑感諸々(もろもろ)

 歳をとったせいか、最近、「近頃の若者は・・・」というぼやきから、「近頃のテレビや新聞は・・・」という憤慨(怒り・あきれる事)が多くなりました。
 先日の読売新聞第1面「編集手帳」に、「袖振り合うも多少の縁」って書いてありましたので、新聞社に「語源は仏教の言葉で、“袖触れあうも他生の縁”でしょう」と指摘したのに、なんの回答もなく、編集手帳での訂正やお詫びもなかった。まあ、恥ずかしい文章を書いた編集者は無視したいのであろう。読売新聞ってこの程度なのです。

 NHKの大河ドラマ「西郷どん」での時代考証などの誤りは、毎回、随所に現れるので、最近は気にしないようにしている。
 でも、いくらなんでも、もう少し真面目にやってもらいたい。

 朝の連続テレビ小説も気になる。
 FBには書いたが、昭和20〜21年の終戦直後の屋台で、ラーメンを(ラーメンがその頃、既にもうあったかどうかも疑問だが・・・)、主役の夫婦が割り箸を使って食べていた。確か、私の幼少の時代に割り箸はなかった。ましてや屋台である。
 NHKの番組関係者全員が終戦直後を知らない世代なのであろう。
 その放映の数回後、世良という役の人が、世の中の不公平を表現するのに、「抑留された人もいれば、帰国出来た人もいる」とか、「戦犯もいれば〜」と言っていたが、終戦直後、一般の人が既に(シベリア)抑留の事実や、未だ始まるか始まらないかの極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の判決結果でいわれた「戦犯」という言葉を、既に知っていたはずがない。
 世の中、イライラする事ばかりである。

 新聞のエッセイ(随筆)筆者もいい加減である。
 ある人が、シャツのボタンホールの一番上だけが横長の穴だと最近気が付き、歳をとるのも良いもんだと書いていた。
 私がアパレル関係出身者だからではなく、誰でもボタンホールが立てか横かなど気にもしていない。ただ使いかっての良さからの常識なのである。
 更に、私が着ている数社のメーカーのシャツは一番下のボタンホールもほとんどが横長であるが、これは(ここでボタンは最後ですよ)というシグナルなのである。
 この程度のエッセイで原稿料を貰っている人が世の中には存在しているのである。

 NHKの時代考証者も同様である。

 世の中ほとんどこの程度なのでろうか、幼稚園の孫が時々テレビを見てイライラしている私に、「そういうもんよ」って言うけれど、そういうもんなのであろう。

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2018年10月15日(月) 18:12

久し振りの講演

 母校である県立厚木高校の同窓会「戸陵会」には各支部がありますが、女性(OG)で構成する「さくら戸陵会」というのがあり、このたび講演を頼まれました。
 テーマは何でも良いとのことでしたので、今年の大河ドラマ「西郷どん」から、西郷隆盛と坂本龍馬を中心としたお話しにいたしました。
 与えられた時間は40分という短い時間でしたが、結果的にずいぶんオーバー(約1時間)して、その上に西郷隆盛で終わってしまいました。
 レジュメをご覧ください(資料・ただし龍馬関係は除く)。



 最初に西郷隆盛の語録である『(大)南洲(先生)遺訓』の中からいくつかの文章を紹介(資料)し、その由来である、庄内藩との交流のお話しをいたしました。
 (このお話は西郷を知るとても良いお話ですが、ここでは省略。)




 続いて、岩倉具視たちが足掛け3年もの永い時間、日本を留守にして米欧に出かけた、いわゆる「岩倉使節団」の留守を守っていた西郷隆盛や江藤新平、副島種臣たちの業績(@版籍奉還A外交問題への着手B徴兵制度の導入C秩禄処分の断行D地租改正E学校制度の確立F国立銀行G警察制度など)を列挙し、その決断力と実行力の素晴らしさをお話ししました。

 後半は、西郷隆盛が下野した原因の“征韓論”について。
 当時、決して西郷が征韓論者なのではなく、世情にこそ彷彿と湧き起きつつあった朝鮮半島に対する、過激な外交対策に対して、西郷は単身で外交交渉に向かうという決意を、岩倉具視・大久保利通・木戸孝允などに反対されのが、下野の大きな理由であったという実話を豊富な例示を挙げてお話ししました。

 更に、西郷以外のいわゆる明治の元勲たち(岩倉・大久保・木戸・伊藤博文・井上馨・山県有朋たち)の汚職や、不正な官有物の払い下げ事件などを列挙し、明治という時代の西郷一派以外の恥部・暗部もお話ししました。

 講演の中で、
 内村鑑三の『代表的日本人』から、

  「維新における西郷の役割を余さず書くことは、維新の全体を書くことになる」

 という言葉や、北一輝が、

  「西南戦争を維新革命の逆転、あるいは不徹底に対する第二革命だとみなした」お話を紹介しました。

 大いに時間を超過した講演の纏めとして、新渡戸稲造の『武士道』から、

  「知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ その品性に現れる時においてのみ 真の知識となる」

 という言葉を皆様にお送りし、お話を終えました。

 このブログの最後に、懇親会での集合写真をアップいたしますが、参加者の中から個人情報や肖像権でのクレームがあった場合は、即、削除いたします。



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2018年9月25日(火) 14:43

大学卒業50年

 今年、1968年に卒業した我々は「ゴールデン・ジュビリー」という記念すべき年でした。
 毎年秋に行われる「青山学院大学同窓祭」の日(今年は9月23日・日曜日)に、大学構内のガウチャ―記念礼拝堂で「記念礼拝」が行われ、もちろん私も参列をいたしました。



 そして、もうひとつの目的は、同窓祭のアイビーステージに出演する事でした。
 このところ毎年、この同窓祭には私が大学時代所属していた「ブルーマウンテン ボーイズ」の先輩や後輩たちが出演しており、今年は、私がゴールデン・ジュビリーなので、後輩たちに声をかけて編成し、時々活動をしている「セレクテッド ブルーマウンテン ボーイズ」が出演をいたしました。
 与えられたステージの時間は30分でしたが、前のステージのあと我々の演奏開始の前に20分のインターバルがあったので、充分、マイク・セッテイングやマイク・テストを行う事もでき、楽しくリラックスして唄い、演奏し、また私のトークも時間を気にする事もなく(時間内に)終えることができました(カラーの写真をご覧ください)。













 多くの同級生や友人たちが来て、声援を送ってくれたのも、嬉しい時間を更に盛り上げる事となりましたが、後から聞いた話ですと、客席に俳優の高橋克典さんや劇団四季の「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主演をした人(?・名前が出てこない)がいたとのことでしたが、私は気が付きませんでした。残念!
 ただ、ステージ向かって右奥のベンチに高橋克実さんがいたのはあとで判りました。頭の禿げた黒いTシャツの人で、立ったり座ったりしています(限定公開ですが「You Tube」でご覧になれます)。
 まあ、個人的な気持ちとしては滝川クリステルさんやホラン秋さんならもっと良かったのですが・・・・・、でも、嬉しい同窓生・後輩たちです。
 私が現役の頃、キャンパスやYMCA食堂でよく会ったのは渡哲也さんと竹脇無我さんでした。

 最後に、私がつくづく懐かしくも嬉しかったのは、50年前の青山祭(文化祭)では、このアイビーステージの近く(今の1号館あたり?)に花岡山という小高い丘があり、そこで演奏をしていた事です(そんな大学時代の青山祭やステージの写真もご覧下さい。モノクロ写真です)。








 20歳頃の大学生時代には、まさか50年後に70歳を過ぎて同じ場所でブルーグラスを演奏し、唄えるとは想像もしませんでしたし、そんな年寄りになる事も想像できませんでした。
 私のバンド仲間のギター&ヴ―カルの植田君とバンジョーの大木君は既に鬼籍の人となり、ベースの村田君は故郷の九州におりますので、当時(第4代目ブルーマウンテン ボーイズ)のバンドは遠い過去に消え去っているのです。  ところで、モノクロの写真でマンドリンを弾いている、髪の毛がフサフサの良い男(?)が当時の私です。



 あの頃の写真って、モノクロだったんですよねぇ?

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