土屋きみやす−ツッチーレポート

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2019年5月6日(月) 21:33

戦い済んで 日が暮れて(第二回)

 忙しさと、御健在の天皇が退位されて平成から令和と元号が替るという歴史的大変化と、大型連休と、加えてパソコンの不具合と、最近は携帯電話で用を足すというツールの変化によるパソコン離れで、すっかりブログの更新が遅くなりました。
 いつもの事ながら、5月になると初夏のような日々が続き、4月の選挙は遠い昔のようになってしまいました。
 さて前回の続きですが、現市長の4期目が無投票当選か?と思われていましたが、3月議会の騒動(前回のブログ参照)で二見副議長の市長選挙出馬により急に賑やかになった。
 そしてその間、タウンニュースに大木さとる後援会の前会長と「健康都市やまとを創る会」の前代表連名による「自ら制定した条例の順守を願う」という寄稿(意見広告)が掲載されましたので、これを読んだ多くの人は、従来の支持者(それも大幹部だった人達)の多選批判による離反かと思ったようである。
 私もそれを読んだ当初は、12年前に私の4選を批判して「多選自粛条例」なるものまで制定したその本人が4期目に立候補する事に大幹部が反対し、離反したのだと思いましたが、よく読んでみると彼らは文中で「優れた実績を挙げれば枚挙にいとまがありません」とか、「休みなく勤勉に務め、市の発展のためリーダーシップを発揮する姿、有言実行する姿」など応援演説のような内容を書いてるのですから、要するに現市長に対する“手の込んだ選挙応援”だったようなのでした。少なくとも私にはそう読めました。
 しかし残念なことに、このような深読みをしない(出来ない)人は、政策で戦う選挙戦では無く、彼等と同じように多選批判や条例の遵守(順守)という、将に相手方の仕組んだ土俵でまんまと相撲を取らされてしまったのでした。
 良い例が対立候補の二見さんです。相手方の戦術にまんまとはまってしまいました。二見さんのタウンニュースへの意見広告(「何のための『多選自粛条例』?」)という文章もそういった論法で終始し、最悪な事に、文中の後半で「現市長は多くの成果を挙げてこられ、私自身も素晴らしいと思う面も多くありました」とまで言ってしまったのです。
 二見さんを応援していた某市議会議員のFB(フェイスブック)でも、同じように敵に塩を送るような論法でしたので、私は彼のFBへのコメントで「そんな相手を評価をする事は選挙には全く不要ですし、むしろ逆効果です。多くの市民・有権者は(そんな業績があるなら、別に4期でもいいじゃん)と思ってしまいますよ」と書きました。
 加えて大木さんにとってラッキーな事は、12年前は「多選批判」がトレンドであり、今は(埼玉県の上田知事以降、条例を守らない多選も許してしまう)といった風潮になっていることでした。
  前回のツッチーレポートでお約束した市長候補2人のそれぞれの公約の検証は、将に「6日のアヤメ(菖蒲)」(これを書いている今日は5月6日)なので止め、過去の大和市長と最近の市長選挙について書きます。
 市政施行以来の市長は、高下重平さん(下鶴間、初代・2代)、石井正雄さん(下和田、3代・4代・5代)、遠藤嘉一さん(下鶴間、6代・7代・8代)、井上孝俊さんの(上草柳、9代・10代)と続き、下鶴間で生まれ育った私が11代・12代・13代と努めましたように、私まではいわゆる地元出身者が市長を務めておりました。
 私の“地元出身者”という定義は、
 @ 地元で生まれ育った人
 A 小学校と中学校の義務教育を大和で学んだ人
 B 江戸っ子のように3代以上続いている家の人
 といったイメージですが、現在の大和市は新住民が多く、市長も、国会議員も、県会議員の何人かも、地元出身者ではありません。淋しい限りです。
 ただ最近、私がつくづく幸せだったと思った事は、私は市長選挙でこういった地元出身の人と戦ったのは最初の石川公弘さんだけでした。
 2期目は無投票当選、3期目は他県で衆議院選挙に立候補した事がある池田健三郎さんでしたし、4期目は他市の県会議員の大木さんでした。そして有り難い事に、私は現在でも石川公弘さんと池田健三郎さんとは親しくお付き合いをさせていただいているのです。
 市長選挙では平成23年には荻窪さん、平成27年には橘さんと、それぞれの御本人や有力支持者からの懇願で応援をさせていただきましたが、お2人とも残念な結果でした。
 平成23年の現職と荻窪さんとの票差は22、258票、平成27年の現職と橘さんとの票差は(他にも2人いましたが)18、755票、そして今回の現職と二見さんとの票差は16、005票でした。
 平成19年の市長選挙には多くの方々から「なんで土屋さんが出ないのだ」、「土屋さんが出ろ」とずいぶん言われました。
 私が4期目にチャレンジした平成19年の票差は僅かに3107票でしたのと、1期目の現職に対する批判が多かった事からの皆さんのお声でした。
 ところで今回、私は今回1度たりとも4期目を多選と批判いたしませんでした。なぜならば12年前に私は4期目を目指して立候補したからです。それは自己を否定することであり、それは己に甘く、他人には厳しいような人になってしまうからです。
 最後に、今回もしも大木さんが3期で引退したら、昔、彼から届いた私への手紙を紹介しようと思っておりましたが、残念ながら又の機会にいたします。

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2019年4月23日(火) 11:02

戦い済んで 日が暮れて(第一回)

 まず、今回の大和市長選挙に立候補した二見けんすけさんの大いなる勇気と決断に対しまして、敬意を持って賞賛の言葉を申し上げます。
 困難な状況に対して、群れの中から最初に飛び込む勇気あるペンギンを「ファースト ペンギン」と称する(実際ペンギンはそういう行動はしないらしいが・・・)言葉がありますが、今回現職が無投票当選かといわれた大和市長選挙に果敢に立候補した二見さんの決断は「ファースト ペンギン」よりもはるかに勇気ある「オンリーワン ペンギン」でした。
 結果は残念な票差での落選でしたが、短期決戦としては大健闘でありました。
 市長選挙など自治体の首長を選ぶ選挙は、のんきな国政選挙のような“繰り上げ当選”や“比例併用での当選”もなく、負けは負けなのです。ただし、4年の任期中、現職に何が起きるか(例:病気・事故・死亡・スキャンダル・犯罪など)解りませんので、二見さんには、4年間ずっと臨戦態勢をお願いします。
 縁起でもない事、嫌な事を言うようですが、私は12年間の大和市長在職中、常にそういう事態にならないよう気をつけて自己を律し、職務に邁進しておりましたが、事実、最近でも茅ヶ崎市の服部市長は現職中に急死いたしました。

 さて、総括です。
 まず大木市長が出馬表明を選挙の直前までしなかったのは、3月議会の最終日に「大和市長の在任期間に関する条例を遵守する旨の大和市議会の決議を求める陳情書」を議会が採択するのか、不採択なのかといった結果を見る事と、その結果に対する大和市議会の「大和市長の在任期間に関する条例を遵守する旨の決議」の採決の結果を見ることでした。要するに、彼の論理は、「出馬表明もしていないのに、自らが制定した多選自粛の遵守を求めるのは”仮定の議論”である」というものらしかったようでした。批判を避ける意味で、なかなか出馬表明をしなかったのに、多くの人が、批判はしても、いわゆる“オンリーワン ペンギン”にならなかった結果が将に現職に有利に働きました。もしかすると「無投票四選か?」とまで言われていたのですから・・・・・。
 結果論ですが、二見さんでもどなたでも、もっと早い段階(年明け前頃)で「多選自粛条例を制定した現職は、まともな人間ならまさか立候補しないはず」という前提で出馬表明をして、各駅での朝立ちや、挨拶まわりを行っていれば、ずいぶん状況は替わっていたと思います。

 次に、選挙の2人の公約や現職の実績(?)などに言及しますが、その前に、二見さんは「多選反対!」を言うよりも「世代交代!」を訴えたほうが良かったと思います。「70歳代を高齢者と呼ばない大和市宣言」とは、将に本人が年齢を指摘されたくない現れでした。二見さんは、計り知れない、輝かしい未来がある30歳代です。平成23年市長選挙の荻窪さんや、平成27年の橘さんとのような一回戦敗退は避けるべきです(と、平成19年に負けた私が23年には出なかったのに言うのも変ですが・・・)。
 選挙時の公約や、現職の実績(?自画自賛、時代背景の違い、私の撒いた種の刈り取りなど)は第二回のブログに言及しますが、3月議会最終日の市長の“不規則発言”についてふれます。
 「不規則発言」とは、「規制や決まりに則(のっと)らない発言」で、大木さんは議会でこれをやってしまいました。
 そもそも、議会に出された陳情や請願を審議し、討論を経て、採択か不採択かを決することや、議会が意見書や決議を討論を経て採決するのは、三権分立の一つである議会の専権事項であります。 そこに傍聴者が発言をしたりヤジったり、ましてや議員でない首長や執行部(理事者側、行政の人々)が発言を求めたり、議長の許可ももらわずに発言する(ヤジる)事は恥ずべきことなのです。 議員間で行われている決議の賛成討論に対し、市長がヤジを飛ばした今回の事は、前代未聞で、まともな議会(議場)では考えられません。
 この場合議長は、
 「議長の名において市長に申し上げます。陳情や請願の審議、また意見書や決議の審議は、議員間で議論して採択か不採択か、または採決か不採決か、を論ずるのでありますから、不規則発言は厳に慎んで下さい」と。
 木村議長は(たとえ議会事務局の原稿を読むだけの操り人形でも)そう言えたのでしょうか? 今回の市長の不規則発言は、議事録から削除しないで、是非後世にそのレベルの低さを記録として残して置きたいものです。

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2019年3月31日(日) 21:12

春爛漫

 桜花爛漫の季節である。
 もっとも「三日見ぬ間の桜かな」といわれるように、このブログも、直ぐに時季遅れになるであろうが・・・。
 私が今まで見た桜で、もっとも見事だったのは、やはり“吉野の桜”であった。京都などの桜の名所や至るところの神社仏閣などでも感動はしたが、吉野の下千本・中千本・上千本・奥千本どころか三万本といわれる吉野のシロヤマザクラはとりわけ素晴らしかった。
 高校時代に暗唱した「頼山陽 母を奉じて吉野に遊び 一目千本に至る 母 大いに喜びて曰く ”桜花爛漫として雲のごとく”」という漢詞のフレーズが好きであり、まさに雲の如き壮観であった。
 そして私は、吉野の金峯山寺蔵王堂の本尊蔵王権現が好きである。
 本堂からはみ出そうな3体と、下から見上げた時のあの青い顔の大きさは、圧巻である。 もう一度訪れたい、お参りをしたい、名所である。

 さて、世間は統一地方選挙真っ最中だが、昨今は、地方はもちろん首都圏でさえ立候補者が少なくなってきている。
 地方政治に関心が無くなってきている人が多くなっている事であろうが、現職はもちろん立候補者全体に尊敬すべき人物がいないのがその理由であろう。淋しい限りである(大和市の場合)。
 統一地方選挙の最初は知事選と県議選だが・・・・・・、「やはり投票には行かないといけないのかな?共産党に入れるようかな?」と友人が言っていた。
 (私ではないですよ!)
 私にとっては、むしろ隣の相模原市長選挙のほうが関心がある。4人のうち3人は知り合いである。
 大いなる変化を期待している。
 私が始めて市長選挙に立候補した平成7年のキャッチフレーズは「若い大和に 若い市長を」と、「オープン」とか「チェンジ」、だったように記憶している。 今でも市民・有権者の有識者の気持ちは変わらないはずである。
 そうそう、前回の日中友好協会での講演風景を最後にアップさせていただきます。


 最近は肖像権の侵害や個人情報保護の問題がありますので、主催者からいただいた写真のうち1枚だけ、それも後方から撮った写真をご覧ください。

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2019年3月10日(日) 19:42

大和地区日中友好協会での講演について総括

 2月24日の講演について、お出でいただきました多くの方々からご感想やご意見を頂戴しましたので、(もう一度、自分としての総括でもしなければ)と思っておりましたら、当協会から会報が届きましたので、ここにそのまま全文を転載させていただきます。講演に関しましてはむしろ私が自分で語るより、主催者の感想が何よりの総括と考えましたので御理解をいただき、こちらをお読み下さい。最初の“「春節の集い」は大盛況、一方で課題も”という石井功会長の文章が、私の講演内容と状況を良くとらえております。




 この際ですから、日中問題や日中友好運動にご関心のある方は、是非ご入会もお考えください。   

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2019年2月26日(火) 10:21

講演が無事に終わりました

 前回のブログでご案内いたしました大和地区日中友好協会主催「春節の集い」での私の講演が無事に終了いたしました。
 いつも私のライヴや講演会にお出でいただく友人にご案内いたしましたら、多くの方がお出で下さり、お陰さまで盛況のうちに終了いたしました。
 主催者(当協会の会長)からの御礼のメールによりますと、通常の倍以上の方がお出でいただいたとのことですので、私としても安心いたしました。



 さてその講演でレジュメのような内容をお話ししたしましたが、中国3000年の歴史と我が国の関係を1時間でお話しするのは至難の技で、話し足りなかったことが沢山ありました。
 加えて、歴史のお話ですから、国家間の難しい外交や軍事的問題、更にはそれらの評価や認識が聴く人々によって随分と異なると思いますので、レジュメの「1.はじめに」で、「私の個人的な見解であり、内容も諸説ある」という事を確認させていただき、本論に入りました。
 講演で最も伝えたかった事は、江戸時代に西洋のさまざまな先進性を蘭学という学問で知り得、それがアヘン戦争に見られるような堕落した清国(当時の中国)という国家と比較する事によって、明治以降、とりわけ先の戦争の頃の対中国感、すなわち中国蔑視の萌芽が生まれたのではないかということでした。
 レジュメの「3.その対中国史観の変遷」で、拙著『江戸の奇人 天愚孔平』や岩波思想大系『洋学 上』、などから引用した、天愚孔平(萩野信敏=雲州松江藩の家臣・儒学者)が大槻玄沢の『蘭学階梯』の序文で言及しております内容(こちらは中国の良い面に言及しているが)や、杉田玄白の『狂医の言』などから、それらの変遷をお話しいたしました。
 後半では、日中国交回復時の田中角栄と周恩来、また明治時代の清国を倒す革命運動をしていた孫文とその支援者である宮崎滔天や頭山満などのお話し、更に、最後の15〜10分で私と日中友好運動との関りを話しいたしました。
 将に3000年の歴史を1時間の掛け足でお話しいたしましたが、言い足りなかった事ばかりの講演会でした。

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