土屋きみやす−ツッチーレポート

<< 前のページ

2019年3月10日(日) 19:42

大和地区日中友好協会での講演について総括

 2月24日の講演について、お出でいただきました多くの方々からご感想やご意見を頂戴しましたので、(もう一度、自分としての総括でもしなければ)と思っておりましたら、当協会から会報が届きましたので、ここにそのまま全文を転載させていただきます。講演に関しましてはむしろ私が自分で語るより、主催者の感想が何よりの総括と考えましたので御理解をいただき、こちらをお読み下さい。最初の“「春節の集い」は大盛況、一方で課題も”という石井功会長の文章が、私の講演内容と状況を良くとらえております。




 この際ですから、日中問題や日中友好運動にご関心のある方は、是非ご入会もお考えください。   

written by kimiyasu [ツッチーレポート] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)] [TB(0)]

この記事へのトラックバックPingURL

2019年2月26日(火) 10:21

講演が無事に終わりました

 前回のブログでご案内いたしました大和地区日中友好協会主催「春節の集い」での私の講演が無事に終了いたしました。
 いつも私のライヴや講演会にお出でいただく友人にご案内いたしましたら、多くの方がお出で下さり、お陰さまで盛況のうちに終了いたしました。
 主催者(当協会の会長)からの御礼のメールによりますと、通常の倍以上の方がお出でいただいたとのことですので、私としても安心いたしました。



 さてその講演でレジュメのような内容をお話ししたしましたが、中国3000年の歴史と我が国の関係を1時間でお話しするのは至難の技で、話し足りなかったことが沢山ありました。
 加えて、歴史のお話ですから、国家間の難しい外交や軍事的問題、更にはそれらの評価や認識が聴く人々によって随分と異なると思いますので、レジュメの「1.はじめに」で、「私の個人的な見解であり、内容も諸説ある」という事を確認させていただき、本論に入りました。
 講演で最も伝えたかった事は、江戸時代に西洋のさまざまな先進性を蘭学という学問で知り得、それがアヘン戦争に見られるような堕落した清国(当時の中国)という国家と比較する事によって、明治以降、とりわけ先の戦争の頃の対中国感、すなわち中国蔑視の萌芽が生まれたのではないかということでした。
 レジュメの「3.その対中国史観の変遷」で、拙著『江戸の奇人 天愚孔平』や岩波思想大系『洋学 上』、などから引用した、天愚孔平(萩野信敏=雲州松江藩の家臣・儒学者)が大槻玄沢の『蘭学階梯』の序文で言及しております内容(こちらは中国の良い面に言及しているが)や、杉田玄白の『狂医の言』などから、それらの変遷をお話しいたしました。
 後半では、日中国交回復時の田中角栄と周恩来、また明治時代の清国を倒す革命運動をしていた孫文とその支援者である宮崎滔天や頭山満などのお話し、更に、最後の15〜10分で私と日中友好運動との関りを話しいたしました。
 将に3000年の歴史を1時間の掛け足でお話しいたしましたが、言い足りなかった事ばかりの講演会でした。

written by kimiyasu [ツッチーレポート] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)] [TB(0)]

この記事へのトラックバックPingURL

2019年2月20日(水) 10:01

急なご案内ですが・・・

 2月24日の日曜日、大和市勤労福祉会館におきまして、私の講演がございます。
 24日の昼間お時間がある方、中国問題に関心がある方、土屋の話を聴いてみたいという奇特な方、お時間ございましたら是非おいで下さい。
 なお、お出でいただける方は、事前の申し込みを饗庭さんにご一報ください。



written by kimiyasu [ツッチーレポート] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)] [TB(0)]

この記事へのトラックバックPingURL

2019年1月27日(日) 22:49

書を観賞してきました

 上野の東京国立博物館平成館で開催中の「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を見てきました。



 王羲之の「蘭亭序」(犬養毅が所蔵していた、いわゆる犬養本)、唐の時代に楷書の典型を完成させた欧陽詢、虞世南、褚遂良の書、その三大家の伝統を継承しつつ新たな書法を創出した顔真卿(今回の主役)等の、その膨大な書の数々に圧倒されつつ、充分満足しつつ観賞しました。
 私は書の方はさっぱりですが、20年ほど以前、ピッツバーグの友人宅を訪れた際に(何か東洋的なお土産はないか?)と考え、私の書いた「王羲之の蘭亭序」の掛け軸を持っていたことがあります。今もピッバーグのM氏宅かアメリカのどこかに残っているかどうか分かりませんが、思い出すだに冷や汗ものです。
 この展示物の撮影はもちろん禁止ですが、唐玄宗の筆になる「紀泰山銘」だけは近づいての観賞も撮影もOKでした。



 残念な事にここでも 「立ち止まらずに 歩きながら見て下さい」 と、係り員が追いたてていました。
 私に対しては言いませんでしたが、もし私に向かってそんなこと言ったら、
 「書を観賞するのに歩きながら、というのは失礼だ!」
 「1600円も取っておきながら!」
 「ロンドンの大英博物館は入場無料で、そんなこと言わないぞ!」
 と言ってやるつもりでした。
 平成館を見た後、ついでに本館にも行き、書、絵画、陶磁器、刀剣、鎧、兜などなどの国宝なども観賞していたら、すっかり夕方になってしまいました。
 東洋館の「白磁の誕生と展開」や「王羲之書法の残影」も見たかったのですが、これらは次回三月末ごろ、桜の季節に解放する庭園と共に、来ようかと思いました。
 たまたま本館に展示されていた青磁の碗をご覧ください。



 これは室町幕府の足利義政が所持していた時、ひび割れが生じ、中国に送ってこれに代わるものを求めたところ、明時代の中国にはもはやそのようなものはなく、鎹(かすがい)で止めて送り返されてきた。この鎹を蝗(いなご)にみたてて「馬蝗絆(ばこうはん)」と名付けられた。
 という、有名な青磁輪花碗 銘「馬蝗絆」(中国・龍泉窯)“重要文化財”である。
 もう一度、我が家の青磁の一輪差しもご覧いただきたい。


 我が国の重要文化財と、我が家の安物との違いが判る人は?

written by kimiyasu [ツッチーレポート] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)] [TB(0)]

この記事へのトラックバックPingURL

2019年1月4日(金) 21:11

新年早々の雑感

 私の好きなこの季節の俳句に「こぞ(去年)ことし(今年) つらぬく棒の 如きもの」というのがありますが、あっという間に大つごもりから元旦を過ぎ、もう3が日までが終わりました。
 以前は大晦日の真夜中に始まる神社の元旦祭に参列したり、午前零時に初もうでしたりしておりましたが、最近は家で静かな時間を過ごしております。
 大晦日は恒例の「NHK紅白歌合戦」を見ていました。といっても昔から相も変わらない演歌歌手などがケバケバしい姿で出演するのがあまり好きではありませんでしたし、更に最近は、ほとんど知らない歌手やグループの曲で、これも見ているのが苦痛でもありました。
 ただ昨年は、大阪府立登美丘高校ダンス部のキレッキレのダンス(曲は「ダンシング ヒ―ロ―」)に驚き、感心したので、今年も何かあるのでは?と期待して見ておりました。結果的には特にありませんでした。ただ一つ、厚木出身のグループ「いきものがかり」のバックで踊るグループとその説明のテロップに「厚木高校ダンスドリル部」とありビックリしたのです。
 ネットで検索してみたら、男の2人は我が厚高の後輩!
 そういえば、ストリートミージシャン当時、大学受験の為に活動を休止したとかと以前のテレビで言っていたので、その後進学した大学を調べたら、一人は法政大学、もう一人は明治大学入学から再度チャレンジして一橋大学とあり、確かに出身高校は厚木高校でした。
 そして、紅白の男組でも女組でもない大トリはサザンオールスターズ!
 桑田佳祐は鎌倉学園から青山学院大学です。息子が鎌学当時に私はPTAの会長をしており、青学は私の母校!
 大晦日のテレビが、高校や大学への母校愛をチョッピリくすぐってくれたのでした。
 元旦は年賀状を読みながら、家族で新年を祝い、静かに過ごしました。
 2日の午後は菩提寺で総代と世話人としてのお勤め。私の為に用意しておいてくれたテレビで、箱根駅伝の往路の4区から5区あたりをじりじりしながら観戦しておりました。
 往路の結果は、母校の青学はトップ東洋大学と5分30秒差のまさかの6位。
 テレビ観戦で疲れた一日でしたし、娘一家がお年賀に来ているのに、夜まで菩提寺におりました。
 でもお寺のおせち料理はケータリングではなく大黒さん(住職の奥さん)達の作品とのことで、なかなかのものでした。



 普通、初夢は2日の夜、とのことで、毎年「七福神」と「なかきよの とおのねふりのみなめざめ なみのりふねの おとのよきかな (永き夜の 遠の眠りの皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)」という回文の絵か、「1富士 2鷹 3茄」の絵を枕の下に敷いて寝るのですが、今年はすっかり忘れており、夢そのものさえも見ませんでした。



 ここではまったく余談でもあり、個人としてのことですが、“姫始め”のほうも、とうの昔の夢物語です。
 さて、3日は箱根駅伝の復路応援です。
 青学が数十年振りに出場するようになってから、6区のスタートあたりや、6区から7区への中継地点(鈴廣の所)、7区の茅ヶ崎あたりの松林、と応援するところを換えてきましたが、この数年は義理の姉が持っている国府津にあるケア付きマンション前で応援しております。
 偶然このマンションには青学出身者が多く、マンションの前は緑の青学の幟がずらっと並びます。
 7区は毎年快走をしてくれる林奎介君! 私たちの応援の効果か、昨年自らが作った区間記録にあと2秒に迫る区間賞で走ってくれました。

 復路の結果はご存知の通り、1位の“復路優勝”。
 やはり、「往路の東洋、復路の青学」だったのです。ただ違った事は往路復路共に大健闘した東海大学という伏兵(失礼!)の出現による総合優勝でした。 もちろんマークはしておりましたが、これほど逸材の粒揃いで、良い走りをするとは考えておりませんでした。 東海大学の大検討に賞賛の拍手をいたします。
 我田引水ですが、東海大学と川(金目川)を挟んだ対岸が「平塚市土屋」。そうです、あの辺り一帯が土屋氏発祥の所で、始祖“土屋三郎宗遠”のお墓や土屋城跡があるところなのです。
 さらに昔、我が店「VANツチヤ」大和店でアルバイトをしていた学生の多くが東海大学の大学生で、彼らとの接点から非常に親近感のある大学なのであります。
 閑話休題
 そうそう箱根駅伝の事でしたね? 青学にとってのライバルは東洋大学でした。
 とても取り返せないと思われたその東洋大との5分30秒の差をひっくり返し、追い越し、6位を2位にまで縮めた復路の後輩たちにも大いなる賞賛のエールを送ります。
 さても駅伝とは不思議な日本独特のスポーツです。
 その昔、パソコンや携帯はおろか電話やFAXもなく、電話さえも、郵便さえもなかった時代の通信手段が駅(通信を中継するポイント地点)から駅へ、手紙などを走りや馬や駕籠で伝達する手法でした。
 それをスポーツとしたので、個人競技であり、団体競技でもあるのです。
 往路の第1区はマラソンや長距離と同じ。 第2区以降は他の走者との駆け引きや、自分のタイムの戦い。
 第5区の山登りは、他の区間と異なる競技。
 などなど。
 私は、
 @ 第1区の走者選定と対策。
 A 往路と復路が全く違う(対、他の大学や走者との駆け引きなど)スポーツとして考え、対策を練る。
 B 区ごとの走者の選定基準と決断(当日までも)の明確化。
 C 山登りの対策。
 など、監督の責任と役割は非常に大きいものと考えます。
 今回の青学は、結果的に往路の2区、4区、5区の選手の走りが敗因と言ってしまえばそれまでですが、これは「たら、れば、」の話で結果論です。
 彼らの結果があったから、復路の大検討があったのかとも考えられます。
  どの大学も、選手の養成と指導、当日までの選手のコンディション見極め、総合競技としての対策等、やることは山積です。
 来年の、青学、東洋、そして東海大学、他の大学の、成果がさらに楽しみになりました。

written by kimiyasu [ツッチーレポート] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)] [TB(0)]

この記事へのトラックバックPingURL

<< 前のページ

土屋きみやす−ツッチーレポート

MySketch 2.7.4 written by 夕雨