土屋きみやす−ツッチーレポート

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2013年8月26日(月) 11:58

横浜中央木鶏クラブで講演

 御無沙汰しておりますが、残暑の中、皆様お元気でお過ごしのことと御推察申し上げます。
 私といえば、あっち(海外)の孫やこっち(東京)の孫たちが帰り、やっと普段の静かな生活が戻ってきた今日この頃です。

 チョッと以前ですが、8月16日に今年で3年目の「横浜中央木鶏クラブ」の依頼により講演をさせていただきました。( 講演の内容は掲載した資料「レジュメ.」をご覧ください。)



 今年は、皆さまへの御案内が遅くなったのと、お盆の直後ということで、例年より参加者が少なかったのですが、それでも30名の皆さまがお出で下さいました。


 「やはり今年も坂本龍馬をテーマに・・・」という主催者の依頼でしたので、龍馬が進めようとしていた“共和思想”と明治政府の藩閥内閣を比較してのお話しをしました。
 龍馬が考えていた“共和思想”とは、憲法制定やアメリカの大統領制度、また入り札(投票)による議会制度、更には“藩”を改編しての地方自治制度(一般大衆からの議員選出)などで、もし龍馬が維新後も生きていれば、確実に日本は違った(もっと良い)国家の姿だったと思います。

 西郷隆盛も江藤新平も下野しなかっただろうし、土佐出身の板垣退助や後藤象二郎の自由民権運動(民選議院設立など)も、もっとスムーズに進んだと思います。
 隈板内閣(大隈重信と板垣退助の内閣)もあんな不様で短命には終わらなかったと思います。
 龍馬の思想は、後藤象二郎や板垣退助の他にも、中江兆民、植木枝盛、幸徳秋水、などそのほとんどは土佐人を中心とした人達に引き継がれて行きました。

 一方、明治の藩閥内閣の考え方とその政治(天皇絶対主義)のほうは終戦後の今でもほとんど反省も総括もなく近代・現代日本に連綿と続いており、龍馬の共和思想継承者はドンドン左の人たち(?本当はこちらが中道の思想なのに・・・)のほうに引き継がれていってしまったのです。

 閑話休題。


 急に私の思想的な位置づけになって恐縮ですが、以前、「大和市自治基本条例」の直接民主制を、成蹊大学の小原教授がジャン・ジャック・ルソー型と評価して下さった(『行政管理研究113』2006・3)のを見ても、私の地方自治に対する考え方は龍馬→兆民(東洋のルソーと呼ばれた)と続いてきた穏健な間接民主主義の思想なのです。


 本題に戻る。

 明治維新以来、この150年強の歴史の中で、日本では共和思想は“反体制”の歴史なのかもしれません。(アメリカでは共和党は保守=コンサーバティブなのに・・・・・。)

 反体制といえば、歴史の中でラジカルな右翼の思想家と位置づけれらている北一輝のお話もしました。彼の『國軆論及び純正社会主義』や『日本改造法案大綱』を評価した人達は片山潜、幸徳秋水、堺利彦、大杉栄などで、北一輝本人も社会主義者のレッテルを貼られた思想家なのです。

 本当は決して社会主義者ではないのに・・・・・。


 私は大正時代の民本主義・吉野作造や、『日本思想史研究』の丸山真男にシンパシーを感じるが、これらの系譜も坂本龍馬に繋がっている。

 またこの会は、安岡正篤先生の思想を学んでいる会なので、安岡先生と陽明学のお話もしました。

 最近、大学での環境実践論講義で、学生に教えた“足尾鉱毒事件”に政治生命と自分自身の命までかけた“田中正造”こそが陽明学の“知行合一”を実践した人物だと・・・・・・・。


 つい難しいお話を書いてしまいましたが、来年の講演も頼まれました。
 お盆の週ではなく、その翌週。

 そして題名は「もし龍馬が現代に生きていたら・・・。」です。
 是非、皆さまの御参加をお待ちしておりますので、今から予定しておいてください。

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2007年5月2日(水) 00:00

コレクションルーム

 私のコレクションルームにようこそ。
 最近、30年以上のブランクを経て楽器を引っ張り出し、いじっています。
中にはほとんど使用不可能だったものもあれば、チューニングがそのまま狂っておらず、即使用可能だった感動ものなど、昔の恋人たちです。

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