土屋きみやす−ツッチーレポート

2007年09月の記事

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2007年9月28日(金) 09:51

2007/09/28 09:51

 渋谷地区の区画整理と天満宮の違憲状態の解消、そして基地の騒音問題を私の時代で解決しておくということは、私の信念であった。
私だから解決できると自負し、それは“未だ萌えざるを達見する”為政者の義務と考えた。
私が苦労をすれば、後に続くものの負担が減る、「先憂後楽」とも考えた。
 さて、「渋谷南部土地区画整理事業」についてであるが、私の一期目においてもっとも高いハードルの政策判断とその決断、実行を求められた事業であった。

 平成7年に市長になって、いきなり「この区画整理事業のタイムリミットは平成7年末までに渋谷中学校の移転先が決まらないと頓挫する」と言われた。
 担当の責任者である区画整理事務所長でさえ、まるで他人事のようであったが、それも当然である。執行権者である市長のマターであり、私の政治生命がかかっていた。
 そもそも渋谷区画整理事業を北部と南部に分けて、先行して北部(現在の住居表示での大和市渋谷)を完成させたのも、高座渋谷駅周辺に入っていく大変さと共に、この渋中の移転先の見通しが立っていなかったからである。
 政策の継承とは、すべてバラ色のものではないものもある具体例である。
 私は、これを負の遺産として前任者の責任にするような卑怯なまねはしなかった。
 「ピンチは最大のチャンスである」と考え、政策決定を「中学校の統合」という案に変更して果敢に問題提起をした。
 結果的に、地元の皆さんの逆提案で小学校を統合して、大きく区画整理が前進したことは御承知の通りである。
 担当者が苦労するのは当然とはいえ、当時の教育長や担当の部長が統合案の説明会やその後の用地取得に望む際の心労ぶり(姿や溜息)を、今でもまざまざと思いだす。
 当時すでにバブルも崩壊していたのに、「区画整理地区外、渋谷中学校学区内、新築」で移転とは、いかにも高いハードルだったが、今でも私でなければできなかったと自負している。
 この“土屋市政”による区画整理のどこを「以前に戻す」のか?

 次に「大和駅東側第四地区再開発事業」について。
 バブル崩壊の以前には大和駅周辺に8か所ほどの再開発計画があり、中には組合まで設立していたものもあった。
 そんな中で私がこの「第四地区」の完成にこだわった理由は、大和市の中心地である大和駅周辺の活性化の起爆剤にすることと、もう一つに大和天満宮の位置づけがあった。
 最近はあまり議論されないが、市の行政財産である市有地に宗教施設が存在するという“違憲状態”の解消である。
 個人的には、30年ほど前に宮神輿の渡御が復活した時から、ずっと祭和会・相和睦・そして現在の大若会名誉会長として神輿を担ぎ続けてきたので、天満宮は地面に直接建ち続けていてほしいという気持ちもある。
 しかし氏子の皆様のご理解とご協力を得てここまで進んできたものであり、ぜひこの都市計画決定事業の完成を望むものである。
 もとより、地権者・組合の皆様のご理解とご協力にも敬意を表したい。
 これも政策を是非継承発展させてほしいが、どこをどう「土屋以前」に戻すのか?

 他に、中央四丁目(駅西側)も歴代市長以来の課題であり、私はさまざまな事柄を考慮しつつ、やっと四期目にその実現が見えてきたが、それも仕切り直しである。
 シビックセンター構想や大和公園の活用もその企画案は持っていた。
 大切なことは「戻す」より、どう「進める」かである。

 最後に基地の騒音問題。
 皮肉なことに、騒音については市長選挙直後すぐに昔のような騒音で“土屋以前”に戻った。
 在日米海軍にとって、重しが取れたような感覚だったのか、中には(土屋市長はうるさい相手だが米軍の立場も理解してくれていた)と、選挙結果に対する抗議だったと分析する人もいる。
 基地対策は、多分に政治家としての判断と行動・発言が結果に現れるので、さまざまな外部の人たちの言いなりや知事の後ろにいたのではそれは望めない。
 ともあれ、基地の状態はすぐに“土屋以前”に戻せる。というより、戻ってしまうかも知れない。
 主体的に戻そうとするのならば、「NLPを岩国に押し付けないで、従来通り硫黄島で100%実施」を求め続ければ良い。
 国家間の合意事項である「米軍再編」を変更するのは大変だが、在日米海軍も今までと同様、厚木を中心に活動出来ればそのほうを望むであろう。
 さらにオープン・ハウスのデモンストレーション・フライトも土屋以前に戻るかも知れない。
 皮肉なことに、それらは米海軍の望むところであり、反対する人たちに基地闘争テーマも引き続き提供できる事となる。

 ところで、市議会で「母港化容認できぬ」と答弁して、就任前の「母港化は現実的にやむを得ない」から変化した、と新聞報道にあった。
 為政者となった今後は、発言や行動に一貫性を望みたい。「綸言汗の如し」である。
 となると来年の原子力空母「ジョージ・ワシントン」の配備セレモニーには当然出席しないのであろうが、いかがであろう。
 これは、第一軍団司令部配備に反対する座間市と相模原市の両市長が出席しない座間キャンプのパーティで見かけた事からの素朴な疑問である。
 そもそも座間キャンプと行政体としての大和市にほとんど接点はない。
 かつて、一時的なゴミ処理を座間市にも相模原市にも断られ困っていた時、処理能力に余裕のある大和市が私の判断で引き受けて以来、歴代の在日米陸軍司令官が私に敬意を表して各種のイベントに招待してくれているだけなのである。
 選挙後も変わらず私に対応しくれている現在の在日米陸軍司令官パーキンス少将は在日米海軍司令官のケリー少将同様、スケールの大きい人間味のある私の大切な友人である。
 こうした、基地との関係などこそ仕切り直しをちゃんとしないと顰蹙を買う。
 大和市はもちろん、日本国家の“品位”にもつながる。

 最後に、市民自治区や協働など参加・協働・自治の流れやIT政策の推進は今や全国自治体の動きであり、止めれば止めるほど「土屋市政」が再評価される。
 市民自治区を中止する理由について「到達点が見えない」との新聞報道だが、自治や民主主義に終わりや到達点はない。

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2007年9月25日(火) 09:48

2007/09/25 09:48

 大変お待たせいたしました。
 ブログの更新です。
 私といたしましては、日本全体の地方自治の将来を展望したテーマや、プライベートな趣味あるいは文化や歴史などに関するほうが好みなのですが、多くの方からのご要望に応えて、ここに久しぶりに「大和市政に関する考察」をしてみます。
 
 市職員や市議会議員の皆さんによると、現市長は「土屋以前に戻す」とのことだそうです。
 (呼び捨て!)
 しかしそうなることは、私にとって逆に土屋市政3期12年が“比較”され、結果的に評価されると考えており、内心は(どんどんやってという)歓迎の心境なのです。
 (ところで、最近ある自治体職員向けの月刊誌に、大和市のトップとその政策が変わったことを指摘して、その後退を危惧する大学教授の論文が掲載されたらしい。)

 新市長就任後、最初の記者会見で開口一番「負の遺産を引き継ぐのだから大変だ、と最初から逃げ・責任逃れ・予防線から入ってきた」と、ある記者が笑って話してくれたが、本来あらゆる事柄を引き継ぎ、それらをさらに良い方向に発展させていくのが基本である。
 もちろん、見直しや変更、中止、廃止も大いに結構であるが、批判や止めることだけならば誰でもできる。いわゆる“児戯”の類いである。
 止めるだけではなく、代案かより良い新たな施策を示し、それを具現化していくかでトップの能力が示される。

 選挙は技術だけで勝てるが、その後の首長たる者に求められるのは、高い政策能力と実現能力、そして“ノーブレス・オブリージュ”である。

 ところで、12年間に大和市がおこなってきたすべての施策の、どれがいわゆる“土屋市政”なのかを判別できる職員とはいるのであろうか?
 残念ながらいない。
 私でさえ高射砲の如く(例示が古いな・・・)アイデアを出してきたから忘れていることもある。いわんや職員においておや、である。
 私のアイデアは直接担当の部長に指示したり、秘書課を通じて担当部署に検討させたり、多くは私のアイデアを示す“企画政策月例会議”に提案し、検討させ具現化してきた。
 もちろん、政策会議で決定し、多くは議会で議決をして初めて実現するものであるが、大切なことは発想の源が市長か議員か職員か市民か、ということより、いかに市民にとって有効な施策になるかの視点が重要なのである。
 最終責任がトップである首長に求められる限り、評価を受けている事柄も、批判を受けている事柄も、トップの施策である。
 
 さてこれから、いわゆる“土屋市政”を分かりやすく紹介していく。

 次回はその象徴的な大きな施策である「渋谷南部土地区画整理事業」、「大和駅東側第四地区再開発事業」そして「厚木基地の騒音対策」について紹介する。

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2007年9月13日(木) 09:42

2007/09/13 09:42

 前回の文末に「次回は最近の大和市政について書く」と約束したが、大和市議会開会中でもあり、それよりもっと面白いテーマを報告したくなったので、市政の考察は次回にさせていただく。
 (期待をされていた皆さん ゴメンナサイ)

 テーマはマイケル・ムーア監督の『シッコ(SICKO)』。
 マイケル・ムーアといえば、ブッシュ大統領とそのイラク政策を痛烈に批判した映画『華氏911』で一躍注目を浴びた人ですが、今回はアメリカの医療問題ということなので、日本の将来の姿をイメージできるかなと思い、観にいった。

 私が映画を観にいく理由は、そこに近未来の予測のための示唆があると思うからである。
 最近は『ダビンチ・コード』、これは21世紀の世界の宗教への考察のため。
 そして、2001年9月11日にはつきみ野マイカル・サティで『パール・ハーバー』を観てきた。
 偶然だが、家に帰りテレビを観ていたらツインタワー・ビルに飛行機が突入する本当の攻撃シーンだった。
 数時間前まで“バリバリ・キーン、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ”という真珠湾攻撃のシーンを観ていた私にとって、なぜかアメリカの60年近くの歴史が連綿としているように思えた。

 ところで話は変わるが、我が家も便利になったものである。
 今回行ったグランベリー・モールまで車で5分、サティなら車で1〜2分、もちろん両方とも歩いて行かれる距離である。

 失礼、本題である。
 この『シッコ』は「テロより怖い 医療問題」というキャッチフレーズの、アメリカの医療実態を鋭く暴いた作品である。
 基本的には、アメリカを模範としてその姿を追いつつ、悪い所はそうならないようにするのが戦後の日本の政治・社会・経済体制であった。
 その意味で、この映画は近い将来の日本の医療社会を示してくれると思った。
 それにしても一言で言って、アメリカの医療社会がこれほど(ひどい)とは思わなかった。
 ムーアは保険業界をそのターゲットにして、さまざまな実態をこれでもか、これでもか、と見せつける。

 さて、日本はどうであろうか?
 ややもすると診療報酬や薬価さらには研修医制度など、国(現政治体制)を批判する旨が多いが、私は医療に関わる業界全体の問題だと思う。
 
 「医は算術」のような医者の世界。
 「薬浸け」にするクスリ依存社会。
 「人間の将来に対する不安や万が一」につけ込む保険制度。
 さらにしばしば首をかしげるような判決を下す「医療裁判」。
 「現象面だけ」を大騒ぎして本質に迫らないマスコミ。
 そしてその元は誰であろう、“病院好き・医者好き・薬好き”の日本人そのものなのである。

 (最近の妊産婦が次々と救急入院を断られた出来事や産婦人科医の不足の本質は何か?医療を提供する側にも厳しい社会なのに、マスコミなどこういった本質の問題提起はしない)

 なかなか映画の話に入らない。
 ムーアは比較対象の素晴らしい国としてカナダ、イギリス、フランスと現地に突撃取材して問題を提起する。
 最後はキューバまで行ってアメリカと比較をする。
 どうやらムーアはこの映画で社会主義を賞賛したいようにも見えるが、イギリスで1948年頃からの“民主主義の成果だ”と明言されたのが印象的だった。

 興味深かったのはグアンタナモ米軍基地に収容されているアルカイダ達には充分過ぎる医療環境が提供されているのに、9・11テロで救命・救助に従事した人たちが今でも後遺症や治らない病気で苦しんでいるという報告だった。

    最後に映画として面白かった所、3点。

  1. 場面の展開が突然で、逆に面白かった。
  2. パロッてしまう(パロディ化)場面や、シニカルでアイロニカルな場面での音楽の曲がピッタリ。
  3. 保険業界と癒着している議員の紹介場面が、まるでこの映画のために出演しているよう。
  4.  などなどであった。

 やはりぜひ観ていただきたい。
 私は改めて思った。
 「病院にも、医者にも、薬にも、世話にならないよう、健康で生きよう!」と。

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2007年9月10日(月) 10:43

2007/09/10 10:43

 私にとって9月は産土神の下鶴間諏訪神社の例大祭なので神の月である。
 因みに8月はお盆月なので、仏教月。
 (といっても、9月にも仏教行事のお彼岸があるが・・・・。)

 さて、今回のお話は私の生まれ育った下鶴間地区の“おまつり提灯”について。




 写真のような2尺ほどの提灯に、文字や言葉がいろいろ描かれている。
 正面には「御神燈」。
 後ろにはその家の苗字。したがって我が家のには、丸に「土屋」。
 全体に花や三つ巴の柄が描かれ、その中に短冊があり、その中の言葉は右に「御祭礼」と「五穀豊年」と「秋月」。左には「天下太平」と「家内安全」の言葉。
 いわゆる願文であろうか。
 
 ところで、全国どこでもおまつりに和紙の花や提灯は飾るが、この地区の提灯はこのように特徴がある。
 我が地域では、今でもこの提灯を数軒の家が飾るが、数年前に私が調べた限りわずか4〜5軒ほどである。
 さらに新調して玄関前の両脇に飾っている家は、土屋家と隣家の長谷川家だけである。

 本来はこの提灯の上に、骨に花を飾った番傘を差すと記憶しているが、今それはやっていない。
 その理由は骨だけの番傘がないことと、我が家の地区は“はなつくり”を10年程前から止めているからである。
 以上、下鶴間地域だけにわずかに残る民間風習についての報告である。

 多くのご要望に応えて、次回はすこし最近の大和市政についてのブログを予定している。

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2007年9月5日(水) 09:48

2007/09/05 09:48





 最近家の片づけで、私のこんな新聞投書を見つけた。

 かつて、文部省から派遣された「青年指導者海外派遣」の時に、イギリスを視察して「コミュニティ・センター(ホール)」を提案した記憶はあるが、この投書は覚えていなかった。
 ちょうど30年前の昭和52(1977)年のサンケイ新聞「アピール」欄である。
 それにしても、この「公立校の施設開放 自治体の積極姿勢を待つ」の実現は、執行権者の市長になって校庭の芝生化や開放など(教育委員会の協力を得て)、まだまだとは思いつつもそこそこ実現した。
 本文を読んでいただきたい。



 それにしても、この時代の新聞活字は小さかった。
 この日の一面は「円高、ついに240円割る」で、その他のニュースは「福田内閣改造」、「貴乃花3敗、輪島に屈す」、「愛知医大事件」、「ひばり邸で盗難」などなど、固有名詞を変えれば今日の新聞と同じなのには笑いを禁じえなかった。

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