土屋きみやす−ツッチーレポート

2009年08月の記事

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2009年8月31日(月) 22:01

総選挙の結果と私の感想など

 予想された結果とはいえ、総選挙は自民党の大敗に終わった。

 私の大学卒業論文は「我国に於ける二大政党政治の可能性」というテーマで、選挙制度に関する考察と提案だったので、とりわけ興味がある。 論文の内容については後に述べる。

 今回の選挙に際し、私に対して支援を頼んできた立候補(予定)者ご本人は、民主党の方だけだった。公示前、私の親しい横浜の民主党県会議員を通じて是非お会いしたいということだったのでお会いはしたが、今までの大和市内の選挙事情や人間関係などのいきさつを説明して、ご健闘のエールだけを送り、応援は鄭重にお断りした。

かつて民主党からは、党本部や徳島県、千葉県などでたびたび講演を依頼されており(自民党からはゼロ)、私を評価して下さったのは民主党の方々のほうが圧倒的に多い。
民主党前政調会長の仙谷由人さんや東京都選出の鈴木寛参議院議員などからはある事を要請されたことがある。その時は北海道の逢坂代議士も同席し、今回愛知県で当選した石田前犬山市長からも要請の電話があった。
内容は私自身に関しての事でもあり、とても有り難かったが、鄭重にお断りした。

私の信念として、首長としてはずっと無所属だったが、政治的に左見右見(とみこうみ)も右顧左眄(うこさべん)するつもりはないので、一貫して自民党を支持していた。

今回は結果的に、自民党とその候補者からは何の依頼も要請もなかったので、選挙期間中は海(ヨット・素潜り)やゴルフ、富士登山などで、ますます真っ黒になり、腕はさらに太くなるような日々を過ごしていた。

1つだけご披露する。
今回のことが充分予想されたので、都議選告示の日の7月3日、自民党選対副本部長である菅義偉代議士を通じて自民党に提言した。
新生自民党として選挙管理内閣で選挙に臨む内容で「御直披」として手紙を送ったが、何の返事も回答もなかった。未だに・・・。
選挙区でも、全国的にも、負ける政党とはこんなものである。
この内容については、いずれ時機を見て公開したいと思う。

さて、私の大学卒業論文の主な内容は、「日本が二大政党になり、政権を交代することが議会制民主主義の理想的な姿」というもので、その意味では前回の小泉郵政大勝利と今回の民主党大勝によって日本も二大政党時代に突入したことと考えられ、喜ばしいことであると考えている。

民主党が官僚主導行政の改革など、マニフェストを実行できなければ、次回は自民党、あるいは離合集散後の新生保守系政党が必ず勝つであろう。

卒論の選挙制度の提案は「大・中・小の同時選挙区制度」の実施であった。
たとえば神奈川県1県を選挙区とする(参議院の神奈川地方区のような)大選挙区の次の選挙時にはかつての中選挙区、そしてそのまた次の選挙では現在の小選挙区、と総選挙ごとに3つの広さの選挙区で実施し、各都道府県でもそれぞれ3分の1ずつ3つの広さの選挙区制度が同時進行する、というものである。
全国で大・中・小選挙区の選挙が同時に行われるのである。
毎回選挙区の広さが変わることにより、選挙区の業者との癒着や、票を金や物で買収するような選挙違反も意味を成さなくなり、同時に毎回必ずエキサイティングな結果が出て選挙が面白くなる。
小さな政党も選挙戦略によって議席を確保できるし、有権者には選択肢が広がる。

いずれにしても、こんど選挙制度を変更するときには、落選した候補者がバッジをつけるという現在の変な「比例併用制度」は速やかに廃止すべきであろう。

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2009年8月26日(水) 22:27

富士登山

 最近、富士登山にはまっている。
 数年前に富士山の五合目から御中道・御庭・奥庭をトレッキングし、精進口の三合目まで下る“富士下山”をしたのがきっかけで、ここ数年は富士山を仰ぎ見るたびに心が引かれ、夏になると無性に登りたくなっていたのである。

 “富士山は見るものだ”とよく言われるが、その頃から私は“富士は入るもの”であり“登るもの” であると考えるようになった。“森林限界“といわれる六合目までの森林や、風雪に耐えて根を張る低木の樹林帯を歩きながら頂上を仰ぎ見るのも良いが、その後、頂上まで登りたくなってきた。
 そして昨年62歳にして初めてT新聞のツアーに参加して登った。ガイドと添乗員のおかげで不安もほとんど感じずトップグループについて何とか登頂を果たしたが、やはり団体行動の登山にはいろいろと考えることもあった。

 その経験から、今年は単独で、しかも他のルートにチャレンジしたのである。
 昨年は「河口湖・富士吉田口」の五合目(標高2,000m)から登り始め、本七合目に泊まり、夜明け前に登り始めて頂上でご来光を拝む、というもっともポピュラーなコースだったので、今回はふじあざみラインの終点に車を駐車して「須走り口」から登った。
 このルートは、富士吉田口より約400m下から登るので1時間ほど多く歩くことになり、多くの富士登山者に敬遠される理由でもある。


(頂上ははるかむこう)

 
(頂上まで6時間30分とあるが、とても無理である)

 8月19日の朝9時半頃に登り始めたが、早く頂上を目指すのではなく途中の花や全体の風景を楽しみつつ登るのが単独登山の良さであり私のスタイルである。
 “自分のペース”でゆっくり登った。
 六合目の「瀬戸館」(2,700m)に11時半頃到着、早めの昼食を食べた。
 少し食休みをしてまた登り始め、七合目(2,950m)の「大陽館(何故か“太陽”ではない)」に午後2時前に到着。
 休憩後さらに登り始め、宿泊を考えていた本七合目か八合目を目指した。 途中、午前中ほとんど同じペースで登っていたペアが下山してきたので、「え?ここからもう降りるのですか?」と訊いたら「本七合目の見晴館(3,250m)は一杯で泊まれません。更に八合目の江戸屋(3,350m)から上は富士吉田口と合流するのでもっと一杯だと思いますので戻ってきました」とのことであった。
 予約をしていない私には無駄な登り下りをせずに済む良い情報であり、このお二人には申し訳ないが私はラッキーだった。
 そして、先ほどの「太陽館」に14時20分チェック・イン。


 17時の夕食はハンバーグ。チョッと箸をつけてから、撮ったのがこの写真。

 キャベツはほんのちょっと、昆布の佃煮も数本、たった1枚だけのタクアン。きんぴらがあるのかと思ったらお皿の絵柄、でもご飯とトン汁はお代わり自由なので充分美味しく頂きました。特にトン汁はとても美味しかった。
 結果的に低い所に泊まったので、上に行くほど空気が薄くなる富士山に体が順応し、翌日は高山病(頭痛や息切れ)にならなかった。
 下界の夜景や、夜空の星を楽しんで、21時半の消灯と共に就寝。午前3時に起床。
 5時前に出発して5時28分ころ本七合目あたりでご来光を拝む。


 7時17分本八合目「江戸屋」通過、7時45分本八号五勺「御来光館」通過、8時25分九合目通過。
 そして、9時28分遂に二度目の富士登頂を果たした。


 多くのツアーが頂上でご来光を拝みすぐ下山開始するのだが、私は今回の目的である、「頂上でゆっくり時間を過ごす」ことと、「本当の最高峰(3,776m)剣ヶ峰まで登り、お鉢回りをする」ことを行った。


 剣ヶ峰とお鉢(火口)からの景色は最高で、風も太陽の光も爽やかだった。
 剣ヶ峰の上(旧測候所の後ろ)には素晴らしい展望台もあり、はるか下方には日本アルプスが見渡せた。


 残雪か万年雪が火口内の四か所にあり、その一か所に下りて、雪で顔を洗い、口を漱いだ。

 
 (上写真:左に少し雪が見えるのが“このしろ池”) (上下写真:頂上に剣ヶ峰が聳える)

 昨年(2008)の秋、北口本宮富士浅間神社から中の茶屋まで歩き、今年(2009)7月、中の茶屋から登り始め、五合目の佐藤小屋を通過して河口湖口登山道まで行ったので、これで全てを歩いたことになる。
 今年も翌々日だけふくらはぎと太ももがちょっと痛かっただけなので、 来年も登ろうと思っている。

 最後に富士山の魅力についての考察。

 深田久弥の名著『日本百名山』に富士山が世界にも例を見ない山であることが書かれているので、その著書から列挙してみる。
@ これほど多くか語られ、歌われ、描かれた山は、世界にもない。
A 役ノ小角(えんノおづぬ)が633年に登っている(山岳史家M・クルツ『世界登頂年代記』)。
B 平安朝の『富士山記』(都良香著)に頂上の噴火口のことが書かれているが、世界最高峰の登頂記録として約8〜900年レコードを保持。
C ひと夏に老若男女が数万人登る民衆的でポピュラーな山。
D 八面玲瓏の言葉は富士山から生まれた。
 頂上からすそ野までの無障碍の悠揚さ、そのスケールの大きさ、のんびりとした屈託のない長さは、海の水平線を除けば凡そ本邦において肉眼をもって見られ得べき限りの最大の線であろう。

 その美しさは連峰や連山の一つではない“単独峯”だからこそ、一層引き立つのである。

 帰りの途中、一刻も早く風呂に入りたかったので、高速道路の足柄パーキングエリアのお風呂に入った。
 足柄PAから富士を見上げると、今まさに夕日が落ちるところであった。


 やっぱり、“富士は日本一の山”である。

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2009年8月16日(日) 14:32

残暑お見舞い申し上げます。

 8月1日は菩提寺恒例の“お施食会(おせがき=御施餓鬼)”。
 例年は猛暑の中だが、今年はすごしやすかった。
 (もっとも、世話人の私の役目は屋内の受付だからエアコンが効いており、快適でした。)

 あとはゴルフ、ヨット、友人との食事、お盆、バーベキューの毎日です。
 ヨットは、葉山マリーナで30Ftのクルーザー(写真1・お嫁さんも初体験)、江ノ島ヨットハーバーでアクセスディンギーに乗りました。




 友人からお食事のお誘いがあり、美味しいお店に連れていったもらいました。

 お盆の中日の14日、恒例の同級生コンペがあり、相模カンツリーでは初めての80台(41+48)を出しました。
 最近、私としては好調です。
 その理由は「フェアウエー・キープ(ラフに入れない)、バンカーに入れない、3パットしない」を目標にしているからです。
 同級生バーベキューの後は、これも恒例の我が家のバーべキュー。


 スポットライトのコードで、セミ(日暮らし?)が羽化(脱皮?)していました。


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2009年8月8日(土) 15:25

上海紀行 まとめ

 とても書ききれない上海の感想と、パークハイアット上海の感想だが、ここにまとめてみる。

 まず、上海が社会主義や共産主義国家の都市ではなく、昔から資本主義的な都市であることは知っていたが、博覧会直前ということもあり、今回は更にそう感じた。
 その昔、文化大革命のときにも(上海は違う)と思っていたが、今や経済特区の「深玔」と共にその豊かさは中国国内でも突出している。  さらに今は万博で発展しつつあるが、万博後もそれがフロックや一過性のものでななく、必ず大きな資産となるのであろう。

 かつての万博でも様々な歴史的建造物やインフラ整備が残された。
 私の記憶に間違いがなければ、ロンドンでの「クリスタル・パレス(E・ハワードのレッチワースのとは違う)」、パリでの「エッフェル塔」、株の暴落やコレラの大流行時のウィーンではドナウ川の治水やグラムの直流電気、またガソリンエンジンの車など、シカゴでの「大観覧車=フェリス・ホイール(Ferris wheel)」、大阪万博の「太陽の塔」などが思い出される。  今回の中国館「パフォーマンス・センター」も度肝を抜く大きさで建造中であった。

 中国には何度か行ったが、どこも大きくて、広くて、まるで自分が象の体の一部にとまった蚊のような心境である。

 最初に中国を訪れた3~40年前は1元が確か60円(現在は14円)、円高か元安だったが観光客は価格の高い“友諠商店”でしか買えず、店員の応対は最悪だった。
 隔世の感である。

 ましてやリニア・モーターカーが実用的な移動手段であることに感動さえ覚えた。

 (日本では本来の目的から逸脱して、山間部を通ったり迂回したりという政治家の地元利益導入で費用が嵩み、いつまでも完成しない。成田←→東京間が欲しい)

 さて、お世話になった「パーク ハイアット 上海」だが、最近のフォーチュン・ウォールペーパーによる「Best business hotel in the world 2009」で「フォーシーズン フィレンツェ」と共に世界のトップにランキングされた。
 評価の判断基準にスタイル、快適さ、サービス、Food、飲み物などがあり、評価の文言に「The highest levels of style and service inspire(感激させる)」や、 景観が「Stunning(圧倒する)」とあり、また設計者のコンセプトも評価が高く、全体のトーンが「earthy tones」とか「natural materials」であることも評価されていた。

 本当に、O原社長はもちろん、社長車のドライバーや秘書の趙さん、部屋にギブソンのギターを置いて貸してくれた総支配人のC・サドネスさんを始め、スタッフの皆さん一人一人にお世話になりました。



 最後にどこかでもらった小さな紙片に次のような言葉があった。



 「活到老、学到老 Man is like the Time,Never too old to learn」

「光明和愛情皆一去不返 Time never goes backward, like love」

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2009年8月3日(月) 09:48

2009/08/03 09:48

 いよいよ、どっちもどっちの“ドッ白け総選挙”の前哨戦が始まった。

 「〜の無料化」や「何々を軽減します」のオンパレードのばらまきマニフェスト。

 またそれを攻撃されると「財源は〜」「向こうこそ〜」の反撃。

 よくもまあ低次元な・・・。国家戦略や政治理念・哲学のない政党同士のけなし合いが今の日本の政治を象徴している。



 私は解散の数週間前、自民党の選挙対策副本部長である菅代議士に「乞御直披」の手紙を書いた。

 自民党内での改革・脱皮を短期間に実現し、“新生自民党”をアピールして選挙に臨める提案だったが、もちろん返事は来ず、自民党の痛手を少しでも少なく出来る私の秘策は取り入れられなかった。

 その内容を紹介したい衝動に駆られるが、もう少し我慢する。

 

 これで、自民党は下野することが確実となった。



 麻生さんの語尾を伸ばす言い方は少しも知性的でないし、一部の人に相変わらず使われている語尾を疑問文のように上げる言い方に似てとても気になる。昔の全学連のアジ演説からイデオロギーを抜いた言葉のようで、空虚さばかりが耳に残る。



 さて、8月中は各政党の動きに注目して行こうとは思うが、選挙まで行ってもどこの政党も指示する気になれないであろう。

 困ったものである。

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