土屋きみやす−ツッチーレポート

2010年03月の記事

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2010年3月27日(土) 15:36

イギリス紀行の合間に“バリ島報告”

 身内の結婚式のためにバリ島に行ってきました。
 結婚式はもちろんでしたが、5日間滞在したバリ島も快適で素晴らしい旅となりました。







 結婚式の前々日はゴルフ、前日はプールや海で泳いだりパラセーリングで海上高く(約20b位か?)舞い上がったりと、充分バリの自然を楽しみました。

 結婚式の早朝も海辺を散歩し、遠く島民の住むあたりまで足をのばしました。
 そこで引き返せばよかったのですが、防波堤の先端まで行き、更に消波ブロックの岩を降りようとして滑ってしまいました。
 早朝は引き潮なので、海藻がビッシリの部分で滑って捻挫してしまったのです。

 で、結婚式では松葉つえで出席しましたが、海辺の教会は四方八方から太陽の光が差し込み、とても心あたたまる素敵な式でした。







 翌日は今度は松葉つえで腋が痛くなってしまったので、ついに生まれて初めての車椅子に・・・・・。

 滞在したホテル「コンラッド・バリ・リゾート&スパ」のスタッフ達の車椅子での介助もこちらが期待した以上に満足できるものでした。

 更にバリのデンバサール空港の人やガルーダ・インドネシア航空の人達もとても親切でした。

 バリの人々全体に感じたことは、そのポスピタリティ(親切さ)です。
 人々の90%が“ヒンズー教”という事が大きく関係していると思いました。
 まさに“合掌”して感謝の気持ちを表しあう姿が日々たびたびの5日間でした。

 とりわけこのホテルは車イスに関することに限らず、全ての事柄で「No]とか「Don’t]とかという言葉は見ることも、聞くこともなく、全てのスタッフに共通する優しさに驚きました。

 成田空港のワンワールドの方の対応は、さらに単なる車椅子の介助に止まらず、荷物の受け渡し、宅急便の手配、そして空港診療所への案内までと、さすがに日本という感じがいたしました。

 生まれて初めての車イス体験も、良い勉強になりました。
 新婦側の皆さんは極真空手や普通の空手、柔道の選手達で、新郎はアメフト、新婦はアメフトのマネージヤーと、皆さんが捻挫や骨折、靱帯損傷経験者ばかりなので徹底的に氷で冷やしたりと、とても適切な良い対応をしてくれました。
 帰る日にはお嫁さんがテーピングをしてくれました。




 帰国後、捻挫はお陰さまで日に日に良くなっております。

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2010年3月19日(金) 01:36

イギリス紀行 (その5)

 前回ご紹介した、広い道路の公園のような部分にあった銘板は、1つが3つの部分に分かれており、上部には「ブロードウエー ガーデン」と「レッチワース ガーデン シティ」の言葉とその風景が彫り込まれている。
 「ブロードウエー」とは「南北に走る大通り」とか「メインストリート」という意味だから、やはり札幌の大通公園のイメージなのである。
 そしてこの図の左下には「セントラル スクエア レッチワースのレイアウトをスケッチしたものを示している」とある。

 下の左部分の文章には、レッチワースの歴史やこの銘板を設置した経過も書いてある。
 ざっと読んでみると、

 @ 世界で最初のガーデン シティでオープンは1903年の10月9日であった。

 A この新しいデザインはE・ハワードが生活の為に都市と田園の最上の要素を結合して考案したもので、理想像としては世界の中で最も素晴らしい思いつきとして残っている。

 B バリー・パーカーとレイモンド・アンウィンのマスタープランがコンペティションで指名され、1904年に建築・設計のコンサルティングを指名した。

 C この銘板にはアンウィンの提案したマスタープランを、2003年5月6日のレッチワース・ガーデン・シティ100周年を祝して示している。

 D 2003年6月6日にセントラル・スクエアをブロードウエー・ガーデンに留め、再び献呈された。
  (蛇足だが、スクエアとは4辻の中央広場・4方を街路に囲まれた広場)

 E 修理復元費用の120万ポンド(約1億8千万円)は文化的遺産の為の宝くじ基金が当てられた。

 などがなんとなく読み取れた。

  (箒かブラシがあれば、石ころや泥を掃いてもっと読めたのに・・・。)

 そして、左下部分には「PROPOSED TOWN SQUARE LETCHWORTH」とあるように、中央広場の提案が描かれており、ここには教会ビルやコートヤード(中庭)、まちの他の公共建物用地などが描かれている。

 私が銅板とか銘板と称しているこの飾り板・記念プレート(Plaque)を見ていると、つくづく2003年の100周年記念の時に訪れたかったと感じた。

 さて、このあたりを歩いただけで幾つかの教会や幼稚園、集会所などが見受けられた。


 私が大和市長のとき、市民は何もかもを行政に頼るのではなく、住民が主体的に地域のことを行う“市民自治区”構想を打ち出したが、その参考にしたのが欧米の“教区(パリッシュ)”や“コミュニティ”であり、ここレッチワースに今でもパリッシュ・チャーチ(教会・写真1)やパリッシュ・ホール(集会所・写真2)があるのを見て、改めて自説を実現しようとした事の正しさを実感した。


教会(写真1)




集会所(写真2)



 今でもお会いする市民の方々から“市民自治区”を評価していただくことがあるが、これもいずれ住民自治のあるべき姿として、再評価されるであろう。

 余談になるが、名古屋の河村市長は議員定数の半減と共に、私の“市民自治区”と同じ発想の“住民自治区”構想を打ち出している。

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2010年3月12日(金) 11:01

イギリス紀行(その4)

 ガーデン・シティに於けるまちの中心は本来は駅でないことを知っていながら、日本のまちの発展から、つい駅が中心と思ってしまう。

 しかし、今のレッチワース・ガーデン・シティもまた、駅から放射線状に延びる道路沿線に店舗が並び、まちの中心のように発展しているので、そのように見てしまう。

 駅から正面に延びる道路の右に比較的大きなスーパーがあり、トイレを利用しながら店内の客層を見てみた。
 視界に入った買い物客は、全員が高齢者であった。
 日本では多摩ニュー・タウンを始めとするニュータウンが高齢化問題を抱えているが、イギリスではどうやらレッチワースのような田園都市が高齢化社会のようであった。


 レッチワースの次にウェルウィン・ガーデン・シティを紹介し、その次に第二次世界大戦後に多く建設されたニュータウンの最初のまちスティーヴネージュを紹介する予定だが、ガーデンシティとニュータウンの比較が出来たことも、今回の視察では想定外のことで、予想以上の大きな収穫だった。そのことについては後述する。

 さて、話をレッチワースに戻す。
 そのスーパーを通り過ぎたあたりから、前回報告した札幌大通り公園のような広い道がずっと延びているのである。
 道路と言うより公園のように感じてしまうのは、中程に噴水があるからでもあり、東京でいえば日比谷公園を思い起こさせる。

 しばらく歩いていたら、写真のような銅板が埋め込まれていた。
 読めるように3枚に分けて写して見た。









 お詫びと訂正:

 @ 「その2」で「ピカデリー・ラインを尋ね〜」というのは帰りの乗り換えのことであり、行く時には「レッチワースとウェルウィン・ガーデン・シティ」へ行く電車のチケットを買い、何番線かを訊いたのである。お詫びいたします。
 A 「その3」では「Town」を「Tawn」と書いてしまいました。訂正いたします。

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2010年3月4日(木) 21:37

イギリス紀行(その3)

 前回の写真に見られるように、駅の看板にも路線図にも「LETCH WARTH GARDEN CITY」と表記してあるのにも感激した。
 一般的に、ウェルウインにはガーデンシテイが付くが、レッチワースのほうは単に「レッチワース」と称されるだけだと思っていたからである。

 さて、ガーデンシテイにとってそもそも駅はまちの中心ではなく、その郊外の畑や畜産牧場で作り出される農作物や酪農製品の、街で消費する以外のものを鉄道で出荷する場所であった。従って駅は郊外に位置していた。

 「都市と田舎(Tawn & Country)の結婚」がエベネザー・ハワードの理想とした田園都市の基本的なコンセプトであり、まちの中心は放射線状に道路が延びるロータリーや公園やガラス張り(クリスタル・パレス)のショッピング・アーケード等なのである。

 さて、したがって私の視察の目的である場所は、駅ではなく駅から街の中心に向かう道路や住宅地のたたずまいであった。

 この駅から中心に向かう道路の幅の広さに驚いた。






 ハワードの「田園都市」の影響を受けてのまちづくりというと、我が国の関東エリアでは東急東横線の「田園調布」を思い浮かべるが、その規模たるや比較にならない広さと大きさと長さだった。
 解りやすくいうと、田園調布の駅前から見た歩車道の幅を、札幌の大通り公園に置き換えていただくイメージなのである。




 道路もロータリーも建物も、全てが落ち着いた雰囲気のまちだった。

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2010年3月3日(水) 09:58

イギリス紀行(その2)

 今回のイギリス行きの主目的はガーデンシティ(田園都市)の御本家「レッチワース」に行くことだった。

 所蔵する本に記載されている地図「大ロンドン都市圏にある中小衛星都市の〜」を閲すると、レッチワースはロンドンの北の方向にあり、数十キロの所なので、イメージとしては東京から我が家の在る大和市辺りだろうと推測した。

 私は、たとえ時間を無駄にしても自分で尋ねながら行くのを良しとしており、そうするつもりでいたが、家内は同行してくれる阪急交通社の添乗員K氏から「何か調べておくことがありましたら、お調べします」といわれて、事前にレッチワースへの交通アクセスをざっと訊いておいた。
 それは結果的に良かったし、助かったが、自分の信念としては自分で訊きながら行きたかったので、朝の散歩の時に近くの地下鉄の「セント・ジョーンズ・パーク」駅に行き、地下鉄路線図を見た。
 すると、若い駅員が近づいてきて「何処に行きたいのか?」と訊いてきた。
 私が「レッチワースとウェルゥイン・ガーデン・シティに行きたいのだけれど、どこで乗り換えるのか?」と尋ねた。
 彼は、アルファベット順に全ての地下鉄駅が載っている手帳で調べてくれたが、残念ながら駅名の一覧表にレッチワースはなかった。しかし、ウェルウイン・ガーデンシテイはあった。
 そして彼は「ヴィクトリア駅でヴィクトリア線に乗り換え、キングス・クロス駅で地上線に乗り換える」と教えてくれた。

 ウェルウィン・ガーデン・シティの先にレッチワースがあることは知っているので、これで事前調査としては充分である。
 地下鉄駅の駅員氏に「ありがとう。朝食を済ませたら8時過ぎに家内と来るから。そしてその時に乗り降り自由の地下鉄1日券を買うからヨロシクね。」と言ってホテルに戻った。

 8時半頃、駅に行くと彼はすぐに自動チケット販売機に私たちを連れて行き、教えてくれた。

 キングス・クロス駅で、ピカデリー・ラインを尋ね、9時15分の電車には乗れなかったが9時45分の急行に乗った。


 なんと終点は1946年の「ニュー・タウン法」で最初のニュー・タウンに指定された、あの有名な「スティーヴネージ」駅だった。


 そこから、鉄道のバスに乗り継ぎ約30分、とうとう夢にまで見た“レッチワース”に到着したのである。

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