土屋きみやす−ツッチーレポート

2011年03月の記事

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2011年3月25日(金) 18:25

3月の様々な出来事 その2

 3月5日には昔懐かしい音楽仲間の集まりに呼ばれました。
 私が学生時代、ブルーグラス・ミュージック・バンドをやっていた後、もっと古い音楽形態の「オールド・タイミー」や「ジャグ・バンド」で一緒に演奏活動していたS田氏を“神のように”尊敬している人たちの集まりでした。
 従って、私はその“神様”の音楽仲間なのです。
 それぞれの世界での有名人というのはいるもので、その世界からちょっと外れると、こんなことも驚きなのでした。

 6日は厚木市内で、私が名誉会長をしている団体の指導者養成教室の修了式。
 その修了証書は私の名前で授与をするので、毎年欠席するわけにはいきません。今年は第16期生で16人でした。

 午後は菩提寺の大林寺前住職の小祥忌(一周忌)。
 30人以上のお坊さんと住職の御家族と親族、10数人の世話人総代、数十人の世話人、数十人のご詠歌講「梅花講」の皆さんが参列いたしました。
 昨年、総代の一人にさせていただいた私の役割は、精進落とし後の「中締め」の挨拶でした。

 9日にはノーベル化学賞受賞者根岸さんの同級生で義兄であるS木先生が、ある依頼事で、他の2人の方と拙宅にお出でになりました。
 例の“大和中学校から湘南学園への転校”については、S木先生自身の事だという事をお聞きし、更に様々なお話をお聞きいたしました。
 根岸さんに関して伝聞推定の間違いを、私のブログに掲載した事のお詫びの伝言をお願いいたしました。

 10日は、小田急相模原駅ビルの公共施設で、さがみ龍馬先生顕彰会の講演会で講演をさせていただきました。
 表題は「龍馬先生の政治思想から地方政治を考える。」でした。
 会場一杯の来場者だったので椅子を隣の部屋から持ち込もうとしたら「その部屋の椅子だけにして下さい」とのこと。「消防法で当然ですよね」と思いましたが、翌日の大地震までは予知できませんでした(私が予言者だったらその場で皆さんにお知らせできたのに、残念!)。

 大地震と津波から、最近の最大関心事は福島原子力発電所の事故。
 これは、天災が引き起こした人災である。
 科学技術庁から通商産業省・経済産業省に代わって、規制と推進を一緒にさせるような行政対応の失敗と、東京電力の事後処理のまずさが、今日の状況と、今後の悲観的な姿の招来を導いている。

 ところで、私は、那須の御用邸の活用と、仮設住宅に皇居前広場と3月で閉館する赤坂プリンス・ホテルを考えていたが、那須の御用邸のごく一部分や卵など生産品の提供が報道され、赤プリも活用されるとの事を知り、とても納得した。
 それにしても、政府の対応がまずい。今、関東大震災後「東京大復興」を実現させた“後藤新平”の出現を期待するのは「木に縁りて魚を求む」、「楡の木に梨を求む」ようなものなのであろうか?歎息、嘆息、しきりである。

 菅総理が自民党に入閣を求め、拒否されたことも拙かった。
 全ての野党に協力を求め、“危機管理内閣”、“挙党一致内閣”を組織し、各省庁と全官僚、世界各国、内外の民間事業者にも最大限の協力を求め、このシングル・イシューに全力を傾注し、一段落した1〜2年後に総辞職、解散、総選挙することを明言するべきである。
 自民党の断り方も、下手だった。
 「このような危機的状況な時には、命令系統の一本化こそが肝要であり、“双頭の鷲”は混乱を招くだけ」と諭し、断るべきだった。

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2011年3月21日(月) 12:57

3月の様々な出来事 その1

 3月3日に65歳になりました。
 若い若いと思っても、年金受給年齢・介護保険対象年齢なのです。
 世の中の事柄は若い人に任せて、人生を大いに楽しみます。

 10日までのことは後回しにして、今回(2011・3・11)の大地震と、それによって起きた大津波と、そのために起きてしまった原発事故について、思うまま書き出してみます。

 先ずその名称。 
 NHKは「東北関東大地震」、フジテレビは「東日本大地震」、テレビ朝日と日テレは「東日本巨大地震」、内閣府と天皇陛下のお言葉は「東北太平洋沖大地震」。
 現内閣の指導力の無さを露呈。

 次に、総理大臣をはじめとする内閣の狼狽ぶりと指導力の欠如や、東電のうろたえぶりは、国民の憤りと不安を増加させる。
 総理は「東日本がつぶれてしまう」などと、決して言ってはいけない。
 「総理を始め閣僚の作業服がちっとも汚れていないのは現場に行っていない証拠で、国会議員は現場に行け。記者会見で襟を立てているのがいる(ビートたけし談)」。
 枝野官房長官は、その後、襟を折っているが、18日ごろ作業服に議員バッチを付けていたのには驚いた。
 菅内閣の認証式や国会内で豪華なドレス姿だったレンポウ大臣の作業服姿はブカブカで痛々しい。自前のブランド物の作業服にしなさいよ。

 天皇陛下のお言葉を聴いた。
 おそらく宮内庁の作文だろうからか、空虚な気持ちで拝聴した、明治維新後と第二次世界大戦敗戦後に国内を巡幸された明治天皇と昭和天皇の故事に倣って、ここはむしろ1日も早く被災地に行幸されて、御手自ら援助物資を被災者の国民にお渡しになられることを健言する(出来る事なら私も御供したい)。

 それにしても、東京都消防庁ハイパーレスキュー隊、陸上自衛隊、警察機動隊の皆様に、深く敬意を表する。
 大阪の親戚と海外勤務の息子夫婦が「いつでもこっちに来て」と言ってくれるが、勇敢なこの人たちを見ていると、関西や海外に逃げ出すことは出来ない。

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