土屋きみやす−ツッチーレポート

2012年07月の記事

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2012年7月16日(月) 19:12

大学時代の我々のバンド“ブルーマウンテンボーイズ”のOB会の事が、7月20日号の『週刊朝日』に。

 大学時代に所属していたブルーグラスバンドの今年のOB会の様子を、脚本家(?)でエッセイスト(?)の内舘牧子さんが、「週刊朝日」に書いてくれた。




 「暖簾にひじ鉄」というエッセイ・シリーズの544回目で、サブ・タイトルに「この手があったか!」とあるように、無趣味で、仕事以外の友人も少なく、家でゴロゴロしているしかない人にお奨めの第二以降の人生の過ごし方の理想的な姿を、我々ブルーマウンテンボーイズOB会に見て、このエッセイに書いてくれたのである。
 内舘牧子さんは文中で、

 “男達にとって、学生時代のサークルとはこんなにいいものなのかと、驚きを通し越してあっ気にとられることがあった。あのリラックス感、あの笑顔、あの弾みよう、家庭でも他の場所でもまず見ることはできないのではないか。”

 と。
 さらに、

 “この人たちは客にじっくり聴いて欲しいとか、昔取った杵柄の指さばきをほめて欲しいとか、そんなことはまるで求めていないのだと。言ってしまえば、彼らは客など眼中にない。むろん、「人前」での晴れがましさは必須だが、昔の仲間とこの日のために練習し、演奏して歌えることが、嬉しくて楽しくてたまらない。そして、仲間や先輩から、万が一にも、「よく声が出てるなァ」「腕、落ちてないっすね」などと言われたら、舞い上がる悦びなのだ。私にはそう見えた。OBたちの半数以上が還暦を過ぎ、定年を過ぎた人達だと思うのだが、こういう場を持てる人たちの幸せを実感する。”

 とも書き、
 文章の終わりを、

 “学生時代のサークル仲間やクラスメートと、あきれるほどの笑顔で過ごす。まさに「この手があったか!」である”

 と、纏めている。

 本文中にあるが、内舘牧子さんの弟が私の後輩で、昨年はお母さんがおいでになった。そして今年、彼は、奥さんや息子さん、そしてそのフィアンセや姉の牧子さんにも声を掛けたのである。
 彼はお母さんが「是非、土屋先輩の奥さんと同じテーブルに」と希望している、という嬉しいメールまでくれた。

 今年の幹事は、私と1学年先輩たちだったが、体育系のような上下関係から、ほとんど私が準備もやらされ、当日も私が司会&進行(MC=マスター・オブ・セレモニー)をやった。
 昨年が創部50周年で、51年目の今年は人集めに苦労するのではないかと思い、私は法学部や、YMCA食堂や学食にたむろしていた友人達・仲間、そして大学時代の夏の思い出を共有する富浦キャンプストアでの広告研究会の友人、家内の友達(その多くは我々ブルマンのリスナーだった)などに声を掛けた。結局、参加者の40%は私達夫婦の大学時代の友人たちで占めた。

 内舘牧子さんが文中で「どういう経緯なのかわからないが、何年か前からOBの定期コンサートを始めた。」と書いているのだが、そもそも7〜8年前、私が後輩の手塚君に、「リサイタル(コンサート)をやりたいがどうだろう?」と持ちかけた事に始まる。
 その時、手塚君は、「人前で演奏できるバンドはもうない」と言ったが、1つ活動しているバンド(「東京Sweet&Good」)があるのを知っていたので、「バンドが一つだけでも良いからやれ」と言って始まった。  年々、各学年のバンドが再結成され、今年のような盛り上がりになってきたのである。

 唄い、演奏し、飲み、食べ、喋る楽しい数時間があっという間に過ぎ、最後に、千葉の富浦海岸で毎晩行なわれたセレモニー曲「アイリーン・グッド・ナイト」を岡田先輩に歌ってもらい、その曲をバックに私が終演の挨拶をし(中締め挨拶を予定していた嘉悦先輩、ご免なさい)、最後の「カレッジ・ソング」まで私が応援団っぽくリードし、みんなで合唱して、散会したのである。

 内舘牧子さんをして「この手があったか!」と言わしめた我がブルマンOB会、来年も6月第一土曜日に開催の予定です。
 ブルーグラスがお好きな方、昔のブルマン(各学年毎、メンバーが交代するので20数代存在した)メンバーに会いたい方・聴きたい方、老後の楽しみ方の一つを見てみたい方、是非お出で下さい。
 万が一、来場者が多くなれば、どこかのアリーナでも、武道館でも借りますので・・・・。

written by kimiyasu [ツッチーレポート] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)] [TB(0)]

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