土屋きみやす−ツッチーレポート

2013年02月の記事

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2013年2月24日(日) 15:22

鎌倉での講演&ライヴ以降の私の動向。

 鎌倉での1時間の講演に続いての1時間のライヴと、更に1時間のアンコール等といった長丁場の1日を終えたが、やはり翌日くらいになると充実感と達成感に包まれる。おいでの皆さん(結局定員オーバーの55名でした)も楽しんでいただけたようである。反省点は後ろのほうが聞こえずらかった事である。もし次回があるとすると、後ろにもう1台PAを設置したほうが良いと感じた。

 翌日の18日はかねてから予定していた木下サーカスに。招待券が5枚あったので、品川に住む娘一家にプレゼントしたが、結局、娘・孫2人と我々夫婦がいった。正面の良い場所の座席指定券を買い、ゆっくり観賞。2歳半の孫はライオンや象が出てくる前に寝てしまったが、キリンやシマウマは見たので良かった。(もっとも象は可愛かったがとても小さかった。お正月にマレーシアの動物園で、孫たちは大きな象を見たし、小学校2年生の孫は直接、象にサトウキビを与えたりしているので、これも良しとする。)
 木下サーカスは始めてみたが、数年前に上海で見た中国の曲技団にはとても及ばないとはいえ、なかなか頑張っているように感じた。
 そのあと、横浜駅の近くで食事をして孫たちと別れた。

 19日は降りしきる雪の中、私が代表をしている会の三役会へ。会議の後、皆さんとなじみの中華料理屋さんで昼食をとり帰宅。
 午後は自宅の3階自室の模様替えを予定していたが、お天気が良いほうが良いので翌日に延期し、この日は銀行やメール、フェイス・ブックをチェックしたりして過ごす。

 20日はお天気も良くなったので3階の模様替え。その理由は気分転換もあるが、日当たりの良い窓際の机周辺にある本が日焼けしてきたので部屋の中央部分の本棚に避難させるため。片づけ始めると、ここも、ここも、となり、結局大きな模様替えになったが、気持ち良く汗をかいた。ベットの向きも換え、より朝日があたる場所に。机の周辺と机の上がスッキリして、今後の文筆作業が一層はかどりそうに感じた1日だった。

 21日はお天気も良く、特に予定もないのでゴルフにでも行こうかなと思っていたら、愛川町の友人Nさんから「庭のマンサクが見頃だから、近くのイタリア料理を食べながら見に来ない?」というお誘いの電話。スポーツ・ジムのプールから帰ってきた家内と喜んで行った。
 相模川を見下ろす場所にある美味しいイタリア料理屋さんで昼食を御馳走になり、その後、そのNさん宅へ。庭には大きなマンサクの木が。それも黄金色の花がちょうど見頃でした。お庭のマンサク、サンシュユ、紅梅、八重椿などを切ってもらい、その後、昔、一度行った事がある古民家「山十邸」に。
 改めて、豪農の熊坂邸の50センチ角のケヤキの大黒柱や、幅62センチ・長さ7メートル以上のケヤキの一枚板の上がり框(かまち)など、素晴らしさを堪能した。庭も南と北の雰囲気が異なり、更に全体が愛川町の手により良く手入れされていて、そこに居て、とても気持ちが良かった。
 私がこの山十邸にこだわるのは、大川周明が昭和19年から歿くなる昭和32年まで住んでいたことである。またまた勉強になった。
 余談だが、愛川町といえば、以前、高校時代の同級生から「大和の市長もいいけど、愛川に来て町長選挙に出てくれよ」って言われたことがある。

 さて、その夜は母方の叔父のお通夜に。叔父は私の母親の妹の配偶者なので義理の叔父にあたる。県庁勤めから、請われて相模原市に奉職し、後にけやき会館の館長などを歴任した。叔父の家の本家は井上陽水の奥さんである石川セリの家。だからこの叔母の家も石川家。
 となると私も井上陽水やセリさんの又従兄弟(またいとこ)か又再従兄弟(またはとこ)になるのかな?
 この菩提寺は徳川家康ゆかりの座間の宗仲寺。開基は今の新宿御苑(内藤新宿)の内藤家の始祖。母親の実家の菩提寺でもあるこのお寺の歴史も、親戚の系譜なども、興味深かった。

 翌日22日は、午前中、歯医者さんに行って、午後は叔父の葬儀ならびに告別式に参列。葬儀・告別式・焼き場・戻って初七日法要・精進落としと、葬式は一日がかりである。

 更に翌23日は、土屋一族の49日法要に参列。
 我々土屋一家の菩提寺である横浜緑区長津田の大林寺で法要、土屋家の墓地に行って納骨。その後、お料理屋さんに移動して精進落とし。
 私は、葬儀の日と同様、中締め(というか締め)の挨拶を土屋同族を代表して頼まれた。
 この時のあいさつはノーベル化学賞を受賞した根岸英一さんの弔文の事を主に話した。
 大和中学で根岸さんに英語を教えた土屋善太郎先生のおかげで「英語のトリコになり、数十年たった今や、なくてはならない商売道具になっている」というメッセージは葬儀の参列者に大きな感動を与えたというものである。

 次回、ゆっくりとこの弔文の全文を書き写してみる。お楽しみに・・・。

 この日の午後4時から、我が家でかねてより予定していた“そば打ちの会”。
 そば打ちを趣味とする友人がそばを打ち、10数人の友人はいろいろな飲み物や食べ物を持ち寄り、延々と夜の10時頃まで飲んで、食べて、おしゃべりをした。我が家の薪ストーブ、囲炉裏、エアコン、床暖房、電気ストーブをフル稼働させ(そんなに寒い季節でも、地方でもないけれど)大いにみんな楽しんだ。

 今日24日は踊りの会で来賓あいさつの後、菩提寺大林寺の檀家総代会に出席。
 連日忙しいが、充実している。

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2013年2月19日(火) 23:27

鎌倉での講演&ライヴという新企画が無事に終わりました。

 鎌倉のジャズ・ライヴ・ハウスである「ダフネ」で、私の講演と我がブルーグラス・バンド“グレート・ピース・ピッカーズ”のライヴが無事に終わりました。

 講演の内容は、幕末の日本とその頃のゴールド・ラッシュや南北戦争時代のアメリカを中心に、ペリー来航時に演奏した音楽や、日米和親条約や日米修好通商条約の批准のためにアメリカの用意したポーハタン号に乗って派遣された77人の徳川幕府使節団(随行艦の咸臨丸の話もしました)の中の小栗豊後之守忠順(上野介)や、トミーこと立石斧次郎の話と、彼のために作曲された「Tommy Polka」の紹介などでした。
 資料は、44年前に私が執筆した「日本の中のアメリカ民謡」という小論文と、横浜開港記念館に所蔵されている、その時の絵やプログラムなどを使いました。




 約1時間の講演の後、続いて19世紀後半のアメリカのゴールド・ラッシュや南北戦争にちなんだ曲を約1時間演奏いたしました。


 更に休憩の後、講演の続きや、アンコール曲の演奏・唄、更には飛び入り(といっても昔の仲間で音楽評論家や、ジャズ・ヴォーカリストのつもりでいる私の姉が唄いました。

 3時間という長丁場でしたが、店内一杯(定員50名に対してお客様52名と我々のメンバー6人)の皆様が大いに盛り上がりました。

 夜は、瑞泉寺近くで料理の鉄人の友人が経営している中華料理店で、お出で頂いた6人の友人と食事をして帰ってきました。

 とても充実した一日でした。

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2013年2月7日(木) 13:31

幕末の日本とアメリカをテーマにした講演とブルーグラス音楽の演奏ライヴを行います。

 2月17日(日)鎌倉のジャズクラブ「ダフネ」におきまして、表記のような「幕末当時の日本とアメリカをブルーグラス音楽で紡ぐ」と題するランチ・ショーを開催いたします。
 昨年末頃から、日曜日のお昼に、このような私の講演と、私たちのバンド「グレート・ピース・ピッカーズ」のブルーグラスを演奏するランチ・ショーをやってほしいとダフネのマスターから頼まれており、メンバーのスケジュール等の調整で、やっと今回、実現の運びとなりました。
(パンフレット参照:ただしダフネの正しい電話番号は0467−24−5169です)


 12時頃から昼食を摂って頂いて、1時頃から私の話、2時頃から歌と演奏、3時以降はフリー・トークとリクエスト曲の演奏やゲストの飛び入りなどを考えております。ただし昼食以外の飲食は3,000円の別料金になります。
 是非、早春の鎌倉散策がてらお出で下さい。

 その事前準備の調査の為に、半年ぶりに国立国会図書館に行ってきました。
 アーカイブ化を進めている国会図書館ですが、改めてその進化に驚きました。まず、半年前に国会図書館の入館カードを作っておいたので入館はスムースでしたが、書籍の検索から閲覧希望の本等の申請、本が渡せるという連絡、コピーの申し込み手続き、コピーが出来上がった連絡、本の返却などなど、すべて備え付けのパソコンで自分が操作し、自分が窓口間を動きます。
 改めて感じましたが、慣れると少しも煩わしくなく、むしろとても快適です。
 ただの閲覧だけなら、なおさら快適に一日が過ごせそうで、老後(もうすでにその世代だけど・・・)の過ごし方として一つの方法だなと思いました。
 食堂の料金も安いし、またはお弁当でも持って行って外のベンチで食べても良いし、そうして朝の開館から夕方の閉館まで、(活字に囲まれて居たいなぁ)と思いました。

 そうそう、鎌倉の「ランチ・トーク・ショー」でした。是非おいで下さい。
(申し込み状況からすると、そろそろ立ち見になりそうですが・・・・・。)

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2013年2月3日(日) 17:54

惜しまれつつ閉店した“京寿司”のお別れパーティ

 義理の弟が経営する東京駅近くの京橋で3代続いた“京寿司”が、この度東京駅周辺の再開発の為、遂に閉店いたしました。
 2月2日は一家の友人や我々身内だけのお別れパーティ。午後5時から延々5〜6時間。笑いと涙の、楽しくもあり、また切ないお別れパーティでした。  参加者約30名の自己紹介や、いろいろな企画で大盛り上がりでした。

 じゃんけんゲームでは、趣味の域を越えた義弟のまとい絵(それもお店に飾ってあった最高の作品3点)やお店のお皿やぐい飲みなどの焼き物。
 私は、神輿に群れ集まる半纏姿の男たちがぎっしりと墨だけで描かれた作品をゲットしました(写真:絵柄まで見えず、更にピンボケで失礼)。



 「今日は寿司は握らねーから、飲み物食べ物はみんなして持ち寄りだよ」っていう話だったのに、最後のほうで大きな飯台にびっしりの握り寿司。
 もちろん自家製(築地製ではない)の卵焼き。


 更に白衣に着替えて(写真:これもピンボケでスミマセン)、美味しい秘伝のツメ(タレ)を載せたアナゴにハマグリ・・・・・・・・・・・。


 月も朧に白魚の、篝も霞む春の夜、冷てぇ風もほろ酔いに、心持ち良くうかうかと、浮かれ烏のただ一羽、ねぐらに帰(け)ぇる川端で、竿の滴か濡れ手で粟、思いがけなく手に入る100両、  ー中略ー    こいつぁ春から、あ、縁起が良(い)いわい。        (何処からともなく「福は〜内」の声)
 ほんに今夜は節分か・・・・・・・。

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