土屋きみやす−ツッチーレポート

2016年01月の記事

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2016年1月31日(日) 20:40

甘利事件について。その1.

 甘利明衆議議員が安倍政権の経済再生担当大臣当時の金銭スキャンダルで、その大臣を辞職した。
 70年近い私の人生の中で、近しい(正確には「近かった」)人がこんな大騒動を起こしたのは始めてのことであり、驚きと、ショックと、言い知れぬ不快感と、寂寥感に満ち溢れている。

 巷ではいろいろな意見が聞かれる。
 支持者の多くは、「(千葉県白井市のこの建設会社とか、自民党内部とか、民主党とか)に嵌められた」、あるいは「気の毒だ」と言った同情論。
 また、自民党支持者には「古武士のような潔さぎ良い辞任」といった好意的な評価。

 他方、マスコミからは「未だこんな議員がいたのか!まるで悪代官と悪徳商人のような前時代的な賄賂のパターンだ」、などなど。

 私と甘利さんとの交流が、走馬灯のように思い出されるので、ここで思い出すままにいろいろと書き出してみる。
 ただし、まだまだ政治家甘利さんの今後も、事件の実態解明も霧の中なので、決してこれは甘利さんへのレクイエムでは無い。

 まず最初に会ったのは、私の父土屋利保の選挙事務所に、甘利正さんの秘書として陣中見舞いに来てくれた時である。「甘利」という焼印の押されたまんじゅうを一箱持ってきてくれた。

 私が市会議員の頃、甘利さんは渡辺美智雄(喜美さんの父親)さんと自民党を出て新党をつくろうとしたり、その以前だったか、新自由クラブでは河野洋平さんより山口敏夫さんに近かった時代もあったように、政党や人間関係などの移り身の早さは定評である。最近では、山崎拓さんから安倍さんへ・・・。
 そういえば、渡辺美智雄さんと自民党を割って出ようとした時、当時の自民党大和支部長の富澤篤弘県議(当時は自民党の県会議員)から「自民党から出たらダメだ」と、自重するよう強く言われたことがあった。
 私も、当時の森田秘書(後の海老名市会議員)に「自民党を出るなって甘利さんに言っといて」といった時、森田秘書に「(自民党を)出るも地獄、残るも地獄なんですよ」と言われたのが印象的だった。
 ところで、後に富沢さんと衆議院議員選挙で対立したのであるから、政治の世界は“一寸先は闇”であり“離合集散は世の常”である。

 もう一つ、小選挙区で甘利さんは2回負けている(1回は新進党の富澤さんに、もう一回は民主党の橘さんに、但し2度とも比例で復活当選した)ように、厳しい選挙をしてきたが、ある選挙戦の最終日、大和駅頭の街宣車の上で甘利さんが感激して涙を流した。
 街宣車の上には、甘利候補と県議の安藤博夫さん、そして市長の私が乗っていたが、涙を流した甘利さんの背中をさすって激励したのは私ではなく、やさしい安藤県議だった。この二人が後に不仲となり、県議選で対立候補を立てられるのだから、政治の世界はやはり“一寸先は闇”である。

 甘利さん、案外可愛い面もある。
 始めて大臣(小渕内閣での労働大臣)になった時、拙宅の庭でのバーベキューに突然甘利さんが来たのだが、ちょうど空が真っ暗になり今にも雷雲がやって来そうになったので皆で急いで屋内に入った。
 その時、貸家に住んでいたアメリカ人にまで大臣の(出来たての)名刺を渡した。こんなところに日本国の大臣がやって来ることにそのアメリカ人が驚いていたのも、懐かしい思い出である。

 さて、私の市長選挙と、その後のお付き合い、そして歴代の秘書と、今回の事件のK島秘書についてなどなどは、次回、引き続き書かせていただく。
 今回はここまで。

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2016年1月13日(水) 18:03

もうお正月も中頃に・・・。

 本当に歳をとると時間の過ぎゆく速さを実感します。
 特に今年のお正月は気忙しい前半でした。
 もちろん大学の秋学期の期末試験を控え、忙しさは月の後半も続きます。

 とりあえず元旦は神社から菩提寺へと廻り、2〜3日は箱根駅伝の応援。

 神社の元旦祭は昇殿する地域のリーダー達も増えているので、もうそろそろ「老兵は消えゆくのみ」といった感。
 市会議員に立候補すると宣言しただけで昇殿させて頂いた30数年前から、ずっと元旦祭と例大祭には昇殿させていただいてきました。

 菩提寺は檀家総代をしている関係で、まだまだこれからも当番の日に行ってお勤め(といっても、外は若い世話人の人達に任せて、私は屋内の受け付け)で座っているだけ)。来年の順番は元旦の午前中ですから神社のほうには行かれません。

 2日は娘一家や仲人ッ子たちがお年始に来るので、自宅で箱根駅伝のテレビ観戦&応援、そしてそのあとは夜まで宴会。

 3日は去年から、義姉の小田原のケア付きマンションで駅伝の応援。
 なんと国道1号線(東海道)沿いなので、テレビで6区から7区にタスキを渡したのを見てから下りて行って、7区の選手(小椋裕介君ほか他の選手も)を応援。
 幸い、そこの住民たちに青山学院のOB(青学校友会西湘支部)の方々がいるので、街道筋は青学の幟に旗だらけ。
 思えば、20数年ぶりに箱根に出場することになってからのこの9年くらい、芦ノ湖の復路スタートのところで2年、6区から7区に渡す鈴廣前で2年、茅ヶ崎の松林湘南支部の皆さんと2年、そして小田原の国府津で2年と応援してきました。
 シード入りに喜び、5位以内を目指し、3位以内を目指していたら昨年は優勝。そして今年は、往路と、1〜10区までと、復路と、総合、の完全優勝。

 最終の選手を応援してから部屋に戻り、大手町のゴールまでテレビ観戦で応援。
 そして宴会。
 今年は身内に加えて、姉のお店の綺麗どころ3人も・・・・・。
 (写真は5区神野大地君の往路ゴール、7区の小椋裕介君の快走、最終ゴールでの感動の風景)





 その後はマンションの最上階にある大浴場で湘南の海を見ながら温泉に入り、渋滞にも会わずに帰ってきました。

 8日から大学の講義(22日は秋期末の試験実施)。

 9日から島根県松江市に。



 10日は松江歴史館で講演。
 おかげ様で講演は無事、盛会のうちに終わりました。
 (写真は松江歴史館とライトアップされた国宝松江城)
 「天愚孔平」の特別展は2月5日まで開催されております。




 11日に家に戻りました。

 そして、12日以降は大学の試験問題作成。
 テスト実施1週間前の講義の日(15日)には試験問題を提出して準備してもらいます。
 テストが終わればホッとするとお思いでしょうが、その後の採点と、AAからDやEまでのランキングも大変なのです。

 そうこうするうちに、1月もあっという間に終わり、2月の節分や初午。  そして3月になればいよいよ“古希”70歳です。

 高齢の人の1年が早いのは、その人の人生の長さとの比率だからだそうです。
 10歳の子供の1年は人生の10分の1。
 私の1年は、だから70分の1、速い訳だ・・・・・・・。

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2016年1月4日(月) 21:13

1月10日の宣伝をもう一度

 もう一度、明けましておめでとうございます。
 お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか?
 その後、1月10日に島根県松江市の松江歴史館で開催される私の講演会のフライアーが届きましたので、ここにアップさせて戴きます。
 ご覧下さい。
 そうそう、お出でになれる方は是非おいで下さい。

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2016年1月1日(金) 00:00

新春早々ですが、講演のお知らせです。

 新年明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくこのブログをご覧頂ければ幸いです。
 今年こそマメに更新を心がけますので、よろしくお願いいたします。

 さて正月早々ご案内ですが1月10日に講演をさせていただきます。
 といっても、場所が島根県松江市の松江歴史館でございますので、関東地方など遠方の方はご来所が難しいと思います。
 従いまして、遠方の方は、どうか島根県や鳥取県などにお知り合いや御親戚がいらっしゃいましたら、是非お声をお掛け頂ければ幸いです。

 講演の内容は、出雲松江藩の江戸詰の家臣で儒学者とも、医者ともいわれた“萩野喜内信敏”という人物について、ですが、同時に千社札の創始者といわれ、またその奇行で江戸で有名だった“天愚孔平”という人物でもあります。

 私はこの人物に関する研究を30歳代の頃に行い、50歳代の頃に『江戸の奇人 天愚孔平』という題名で上梓(錦正社刊)いたしましたので、そういった関係からの講演依頼でした。

 ここに、私の案内文と松江歴史館の発行しておりますフライアーの表裏を添付いたしますので、是非お読み下さり、お出でいただければ幸いです。




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