土屋きみやす−ツッチーレポート

2016年06月の記事

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2016年6月15日(水) 14:02

叙勲の話の拾遺&舛添問題

 拾遺と言う言葉が相応しいかどうか解りませんが・・・・・。
 前回、私が陛下への御礼言上役に選ばれた理由を幾つか想定しましたが、その後、やはりAの総務省が気になっています。
 総務大臣は高市早苗さんだし、副大臣は土屋正忠さんだし、政務事務次官は嵐の桜井君の御父君だし、昔の自治省が今の総務省だし、とか?、でもまあ、やっぱりAは無しか?

 スポーツジムのゴルフ仲間によるお祝いコンペのあとの祝賀会では寸劇まで用意されておりました。
 Sさんが陛下に、Tさんが私になり、Tさんはちゃんと私の御礼の言葉を正確に言上しました(イントネーションは全く違ったが)。
 最後にはSさんとTさんが握手し、更に、それどころか畏れ多い事にハグし合いましたので、皆さん大笑いでした。
 司会・進行の方のSさんは、普段の礼儀正しい寡黙さとは打って変わり、仕切り屋ぶりも盛り上げ方も超一流で、とても驚きました。
 中締めのOさんのご挨拶は、さすが大和市民。私の現職当時の業績評価をいろいろ話して下さいました。
 
 さて、人間「棺を覆うた時にその人の評価は定まる」と言いますが、都知事の舛添さんは思っていた以下の下劣な人で、棺を覆うまえに評価が下落しました。
 彼はその昔、冨澤あつひろさんが確か県議当時、応援弁士として大和にきました。国際政治学者といった、よく分からない肩書の胡散臭い人物でした。
 「氏・素性」とか「氏より育ち」と言いますけど、氏も、素性も、育ちも・・・、やっぱりです。

 さて今回の都議会ですが、地方自治法に定められた100条委員会を設置しなかったのが本当は問題なのでした。
 総務委員会で5時間も集中審議したら、政策企画部・総務部・財務部などの局長以下が、そのために拘束されしまうのです。大変な無駄遣いと、都の行政が停滞してしまったのです。
 当初、自民党都議団は庇(かば)おうとしていた。だから舛添さんが知事の椅子にしがみ付いていたのです。
 いよいよ世論やマスコミの追及が厳しくなり、気(?)を見るに敏な与党の公明党は、サッサと野党各党の不信任案の方に鞍替えしたのに、自民党は知事が自ら辞職するように説得していたようでした。結果的にそうなりましたが、ここはやはり辞職勧告とか、不信任決議とかにするべきだったのです。
 空気が読めない自民党は末期症状でもあります。
 
 それから、クールビズとかのスーツ姿にノーネクタイは絶対に良くないですね?
 私は本業がメンズショップ経営のアパレル業界出身。石津謙介さんのVAN製品(トラッド・アイビー ファッション)などを取り扱っていたお店(藤沢・大和・世田谷)を経営していましたから、特にこだわるのです。
 スーツではなくジャケットかブレザーならノーネクタイやポロシャツでも良いけれど、スーツでノーネクタイは、まるで逮捕された“容疑者”です。
 舛添さんも、甘利さんも、犯罪者ぽかったのは、そういうビジュアル的な印象もあるのです。
 こういう時こそ、ネクタイをするべきでしょう。
 
 最後に、私が市長の時に職員によく言った言葉を舛添さんに送ります。

   「爾の俸、爾の祿は、民の膏、民の脂なり。下民は虐げ易きも、上天は欺き難し。」(福島二本松の戒石銘より)

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2016年6月6日(月) 15:18

5月はいろいろと非日常のこともあり・・・

 5月は本当にいろいろと普段経験しないことなどがあり、忙しく過ごしておりました。
 なんといっても圧巻は“叙勲”でした。
 4月に総務省から内示があったとは言え、(新聞発表まで公表はしないで下さい)とのことでしたので、ずっと家内には「これはドッキリカメラだ、と思っていれば良いんだ」言っておりました。
 その後、県庁で黒岩知事からの伝達授与があり、皇居への参内の話もありましたので徐々に現実味が湧いてきたのですが、やはり実際に皇居へ行き 、天皇に拝謁するまでは、なんとなく実感が湧きませんでした。

 さて当日です(前回のツッチーレポートと重複いたしますがお許しください)。
 
 午前中に関係する会社の取締役会に出席し、中座をして自宅にもどり、モーニングに着替え、大和市指し廻しの車に乗り、赤坂の都道府県会館神奈川県事務所に行きました。
 モーニングは、たまたま若いころから仲人をやる機会も多かったので持っており、久し振りに着ることができました。
 「モーニングもしくは紋付羽織袴」とのことでしたが、モーニングのほうで良かったと思います。
 最近は、モーニング、紋付羽織袴、タキシードを着る機会もなくなっているので、次は紋付羽織袴やタキシー ドを着るような状況があると良いなと思いました。

 さて、都道府県会館から皇居内にはバスで入り、しばしバスの中で待機、その後、授章者約400人、配偶者約400人の順で整列し、歩いて豊明殿へ向かいましたが、その最前列の一歩前(すなわち先頭)を私が一人で歩くという状況でございましたので、とても晴れがましい気分でした。
 さらに、新緑が爽やかな五月晴れの皇居内ですから、記念すべき状況としては申し分ございませんでした。

 豊明殿内でも授章者は(張られた黒いロープから半歩も出ないように)と整列させられたのに、私は1人でその前に立って陛下のご入場をお待ちしました。
 陛下のご入場、登壇(といっても1歩だけの低 い壇)、壇上で正面(すなわち我々の方)へ向きを変えられた後、私が一礼をして御礼の言葉を言上させていただきました。次に陛下のお言葉を賜り、陛下が壇の反対側に降りられ、こちらに会釈され、車いすなどの授章者から、受賞者と配偶者の間を歩かれ、入場された場所から御退場になられました。全体で15分から20分位の間でしたが、それはそれは荘厳な時間でした。
 また個人的に感動したのは、壇上で私の挨拶を受けてただいた前と後、陛下のお言葉のあと、降壇されてこちらに向かれた時、と計4回陛下と私が向き合う(アイコンタクト)という状況だったことでした。
 70年の人生でもっとも思い出に残る1日でした。

 以上、前回・前々回のツッチーレポ ートのおさらいでした。

 高校時代の同級生が危険業務従事に対する功労(消防団長)で叙勲者の中にいたのですが、彼も私の御礼の声で(あっ、土屋だ)と解ったとのことで、夕方電話を頂きました。


 さてここで、皆さまもお考えください。どうして陛下への御礼の言上役がに私なったのか?

 @ たまたま。
 A 総務省に私を知っている人がいて、その人の推薦。
 B 他の方々(永年議員、教育長、助役、などの経験者)とは違った経歴(首長経験)の1人だったから。
 C 平成10年神奈川ゆめ国体の時、バトミントン競技の大和市へ両陛下がお出でになられた時(行幸啓)のことを憶えていた陛下からの指 名。
    (あるハプニングがあり、両陛下の出発が遅れ、その間、両陛下と30分ほどお話をさせていただいきました。)
 D 宮内庁の方からの指名。これはもしかすると私ではなく、息子のお嫁さんの関係か?
    (我が家に嫁ぐ前の独身時代、お嫁さんは外務省に勤務しており、外国要人と宮内庁の担当の儀典係りだった。)

 以上ですが、多分理由は@だったと思います。

 さてその後ですが、平常の生活に戻り、相変わらずいろいろな会の会議、総会、理事会、役員会、発表会での挨拶、山梨県や愛知県への小旅行、大学講義、ゴルフなどなどと忙しく続き、6月入っては、スポーツジムの仲間による祝賀ゴルフコンペ&祝賀会や大学 時代のバンド「ブルーマウンテンボーイズ」OB会などがありました。この2つのイベントは、とりわけ大きな出来事が無事に終わった後のことでもあり、自分自身としては、解放感・達成感などと共に、大変楽しい時間でした。

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