土屋きみやす−ツッチーレポート

2018年02月の記事

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2018年2月17日(土) 16:49

第一回衆議院議員選挙で当選した人々(続き)と、近未来の本当に怖い予測。

 まず明治23(1890)年に実施された衆議院議員選挙の“綺羅星の如き”当選者の続き。

 まず高田早苗。
 最初の衆議院議員選挙において全国最年少で埼玉2区から当選した政治家でもあり、教育者でもあった。
 早稲田大学というと我々は、大隈重信を思い浮かべるが、その大隈と共に早稲田大学の前身である東京専門学校の設立に尽力し、早稲田大学が総長・学長制を敷くと初代学長に就任(初代総長は大隈)、後に総長にも就任している。  早稲田の式服、式帽、校旗、職制などを定め、教旨の制定など発議した。  早稲田大学に学んだ人々は、必ずや「高田早苗記念研究図書館」で多くの時間を割いて勉学に励んだ事であろう(私が青山学院大学の間島記念図書館でいつも勉学に励んでいたように・・・笑)。
 その以前に高田早苗は政治家であり、また言論人でもあった。東大文学部を卒業後、大隈の立憲改進党に加わり、読売新聞主筆であったが第一回議会招集の時に読売新聞の主筆を退任している。
 政治家としては衆議院議員を通算6期務め、第2次松方内閣(大隈と連立した松隈内閣)の外務省通商局長。この時に株主として参画していた読売新聞からの退社を広告した。第1次大隈内閣(板垣退助との連立だったので隈板内閣ともいう)で文部省参事官、高等学務局長、参与官兼専門学務局長となる。一度政界から離れた後、貴族院議員に勅撰されたが、第2次大隈重信内閣で文部大臣を務めた。

 次に津田真道。
 先に第一回総選挙において東京8区で当選する以前の略歴を書き出してみる。
 美作(岡山)津山藩の生まれで江戸に出て、蘭学を箕作阮甫と伊東玄朴に、兵学を佐久間象山に学んだ。藩籍を脱しての苦学であったが、蕃書調所(徳川幕府の洋学研究教育機関で、東京大学の前身の一つ)に雇用され(幕臣となった)、文久2(1862)年には西周と共にオランダに留学。帰国後、講義録をまとめた『泰西国法論』というヨーロッパの法制に関する翻訳本を出した。これは日本で最初の西洋法学の紹介であった。目付に就任し、大政奉還の頃には徳川家中心の憲法案を構想した(『日本国総制度』)。
 明治維新後は司法省に出仕して『新律綱領』の編纂に参画、その後、外務権太丞として全権伊達宗城の副使となり日清修好条規提携に関わり、陸軍省では陸軍刑法を作成した。他にも裁判官や元老院議官を務めた。
 明治六年には福澤諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之、西村茂樹らと「明六社」を結成。
 明治二十三年の衆議院議員当選後、初代衆議院副議長に就任。
 明治二十九年には貴族院議員となる。

 さて、前半は難い内容の第一回総選挙当選者の紹介でしたので、今回は2人に止めて、次に近未来の怖い話。

 北朝鮮が核兵器保有国になったと思われた頃から、私は「韓国の経済力と、北朝鮮の核保有軍事力が、“南北統一”という名の元に1つの国家になる」という近未来予測を想定した。これは日本にとって、経済的にも、軍事的にも、脅威である。
 その予兆は昨年の9月25日付けのこのツッチーレポートに書いた(韓国大統領の北朝鮮に対する8億円と言われる人道支援案という)すり寄りである。もともと親北的な立場の現在の文在寅大統領のこういったスタンスを北朝鮮は決して見逃さないことは、今回の冬季平昌オリンピックでの北の動きが良い例である。北朝鮮を侮ってはいけない。あの軍事力は(使うか使わないかは兎も角)決して張り子の虎ではない。どの核保有国は核兵器を使ってはいないが強力なカードになっている。

 日本との大きな外交問題は、韓国が主張する領土問題(我が国固有の領土“竹島”に関する強硬なスタンス)と、慰安婦や少女像の2つの問題である。

 領土問題はロシア(残念だが敗戦による結果である北方4島)と中国(これは断固として対応するべき我が国固有の尖閣諸島)と共にしっかり主張し、時と場合によっては実行動も辞さないという覚悟が今の政治家には必要である。

 慰安婦問題のお金の事だが、
 @ 韓国が慰安婦支援の財団を設け、そこに日本が10億円拠出。
 A 日韓合意当時生存していた元慰安婦47人のうち34人にそれぞれ約1億ウオン(約1000万円)を支給、合意前に死亡した199人については、親族ら68人に約2000万ウオン(約200万円)払った。
 と言った合意が実行されたのである。にもかかわらず、現政権はガタガタ言って混乱させている。
 これって、国家そのものが“あれ”をしているか、“あれ”になったようで、至極不愉快である。

 最後に動画をご覧ください。


 前回2月2日のツッチーレポートで甘利さんの事を書いたら、翌日の節分で甘利さんと一緒に豆を撒くことになってしまった。
 甘利さんは第1回目に撒き、私は第2回目に撒く予定だったが、甘利さんが遅れてきて私の隣に来てしまった。
 私が紹介された時、「あっ、市長歳男なの?(私の事を今でも市長と呼んでいる)」と、話しかけているところがこの動画である。
 どうでもいいけど・・・・・。

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2018年2月2日(金) 17:14

もう2月!ちょっと恥ずかしい写真を2枚ご覧ください。

 前回までに、第一回の総選挙(衆議院議員選挙)の当選者のうち、まず大江卓、河野広中、田中正造の3名を紹介した。
 次回から出来るだけ多くの衆議院議員の当選者を紹介するが、ここでとりあえず名前のみを先に紹介しておく。
 高田早苗、津田 真道、中島信行、尾崎行雄、中江篤介、陸奥宗光、犬養毅、竹内綱、林有造、片岡健吉、植木枝盛などなどであり、とりわけそのうち、坂本龍馬の影響下(というより亀山社中や土佐海援隊時代からの同志)の中島信行、中江篤介、陸奥宗光、高知県選出では竹内綱、林有造、片岡健吉、植木枝盛などの人物が見え、将に”綺羅星の如き”政治家たちである。

 またまた、それに引き換え今の政治家は・・・、である。
 ここに、今となってはチョッと恥ずかしい写真をご覧いただきます。



 これは安倍さんが第一回目の内閣を組閣した頃の写真だったと記憶しているが、私にとって、今となってはあまり有り難くもないツーショット であり、むしろチョッと恥ずかしい写真である。

 先日ちょうどテレビをつけたら、衆議院予算委員会か何かでの答弁の場面だった。安倍総理が森友学園や加計問題の答弁をしていたのだが、質問者の顔を見ないで机の上の答弁書原稿を読んでいた。
 名誉校長の昭恵夫人が、森友学園の一件で、「何も関与していない」とか答弁していたが、その顔にはまざまざと”嘘をついている答弁を読んでいる”、と書いてあった。恥ずかしい!
 品川のホテルで週何回も逢っているのに”男女の関係はなかった”と強弁していた人を思い出した。

 この所の寒さで、薪ストーブを使う事が多いが、点火の際に古紙を使う。  こんな新聞まで出てきた。



 誤解の無いように、甘利明さんと私とは同志である(あった、かな?)。
 私が平成七年の市長選挙に当選できたのは甘利さんのお陰が大である。
 でも、あの時に私でなく、もし石川公弘さんが市長に当選していれば、この選挙区の長い歴史の勢力図からすると、衆議院議員は甘利さんでなく、冨澤篤紘さんがずっと当選し続けていたであろう事を考えると、あの時の市長選挙で私が勝利したのは、同時に甘利さんにとっても大きな意味があったのである。
 選挙の勝敗とその後の政治生命を艦が見(かんがみ)た時、同志だったからこそ、同志だからこそ、私は厳しくその政治姿勢を見つめ続けている。甘利さんは県立厚木高校の後輩でもある。
 もう直ぐこの 新聞は燃やしてしまうが、事実は消し去ることはできない!人の記憶も・・・・・。
 
 「政治は最高の道徳である!(べきである!)。」

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