土屋きみやす−ツッチーレポート

2018年1月1日(月) 00:00

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 新年明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。
 そして是非、この「ツッチーレポート」をお読みください。

 さて昨年私は、このブログで明治二十三年に実施された総選挙で当選した人達を“綺羅星の如き人々”と表現し、その主な名前だけを紹介し、その後詳しく紹介しないまま年を越してしまった。
 その時に紹介した人物のすべてをここに紹介できないかもしれませんが、もう一度、当選人名簿を見ながら書き出してみます。

 北から。
 岩手県1区の大江卓。
 土佐の出身で奥さんは後藤象二郎の次女。幕末には中岡慎太郎が隊長を務めていた土佐陸援隊に所属。
 当然、土佐海援隊長の坂本龍馬や陸奥宗光とも倒幕運動の同志であった。
 立憲自由党所属、土佐の挙兵「立志社の獄」で岩手監獄に収監された故に岩手から出馬。明治五年、陸奥宗光の推挙により神奈川県令(知事)に就任。神奈川や横浜の街づくりに奔走し、警察制度を作り上げた。またその間、清国人奴隷の解放に尽力、在日華僑に感謝される。また、フェリス和英女学校(現在のフェリス女学院)を援助したり、部落解放運動の水平社運動にも深く関わった。

 福島3区の河野広中。
 陸奥国三春藩郷士の家に生まれる。幕末には尊皇倒幕論を唱える。三春藩は奥羽列藩同盟ではあったが、板垣退助(東山道先鋒総督府参謀)と会見し、土佐藩兵に合流。
 明治以後、ジョン・スチュアート・ミルの『自由の理』を読み自由民権運動に開眼、東北地方の自由民権運動の先駆けになる。
 明治初めは民権運動で活躍するがここでは略す。
 第一回以降、大正十六年の第十四総選挙まで連続当選。
 自由党から自由党と立憲改進党の後身である進歩党の合同に尽力。憲政党の結成、その後、大隈重信らと憲政本党結成に参加。
 明治三十六年第十一代衆議院議長に就任。
 明治三十八年にはポーツマス条約に反対し、国民大会の議長として日比谷焼打ち事件を扇動。
 その他、アジア主義団体の「亜細亜義会」に犬養毅や頭山満らと設立発起人として参加。 
 立憲国民党→立憲同志会→憲政会に所属。大正四年、大隈内閣の農商務大臣に就任。

 栃木3区の田中正造。
 足尾鉱毒事件に政治生命をかけた尊敬すべき政治家。
 名主の家に生まれ、江刺県花輪支庁の官吏、区会議員、栃木県県会議員など(後に立憲改進党結成に入党)で政治活動を行う。
 第一回衆議院議員選挙で当選。
 足尾鉱毒事件に関しては長くなるので、次回はこの田中正造と足尾鉱毒事件について書き、今回はここまで。

 難い話と思わないで是非、こういった明治の政治家の事をお読みいただきたい。

 最後にまた新聞記事。昨年11月28日の読売新聞夕刊「よみうり寸評」である。
 ここでは明治の政治家を一緒くたにした書き方をしているが、このコラムを書いた人にも私のブログを読ませたいものである。
 そして今の政治家には“明治時代の政治家の爪を煎じて飲んでもらいたい”!


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