土屋きみやす−ツッチーレポート

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2017年11月11日(土) 19:28

昔の政治家

 今、佐賀(肥前)の江藤新平を主人公にした小説『歳月』(司馬遼太郎著、上・下)を読んでいる。
 江藤新平という人物に私は惹かれていたので、とても興味深い。西南戦争の西郷隆盛と共に、佐賀の乱の江藤新平は、明治という混迷と権力が渦巻く時代の政界に踏み止まり、もっと活躍してほしかった人物である。
 ところでこの本の文中に、しばしば「長人は狡猾(奸侫)であり、薩人は愚鈍である」と書いてある。
 安倍晋三以外の長州の皆さんと薩摩の皆様、本当にごめんなさい。でもこれは、決して私が言っているのではなく、「江藤新平が言っている」と司馬遼太郎が書いているのである。くれぐれも誤解の無いように。

 さて、先の衆議院選挙で自民党が単独過半数を勝ち取った結果か、ここで加計学園の獣医学部が認可されることになった。

 現在の政治や人物を、歴史的事象と比較してしまう私は、安倍晋三と森友学園・加計学園の関係を見て、山県有朋の「山城屋和助事件(長州軍閥疑獄)」と、大蔵大輔でありながら三井の番頭と影で蔑まされた井上馨の「尾去沢鉱山事件」という金にまみれた政治家を思い浮かべてしまった。
 山県有朋(幕末時の狂介)、井上馨(幕末時の聞多)、安倍晋三、みな長州人である(3人を比較するには安倍さんはとても小物だが・・・)。

 坂本龍馬と共に幕末時に現れた傑物(超A級)である高杉晋作が死んで、奇兵隊はB級の大村益次郎が引き継ぎ、大村益次郎が刺客に襲われた結果死んだ事で、明治の陸軍を掌握したのがC級以下の人物山県有朋である。最後は総理にまで上り詰めたのである。

 不愉快な話はこの程度にして、前回予告した明治二十三年の第一回衆議院議員選挙の当選者を先ず列挙してみる。

 その前に、『陸奥宗光とその時代』の中で岡崎久彦氏が紹介している伊藤痴遊の言葉をここに孫引きする。

 「当時の選挙と昨今の選挙と比較してみると、どうして、こうもちがうようになったのかと思うくらいに、相違が甚だしいのに驚くほかはない。
  とにかく、第一回の総選挙には、多少情実の投票は行われていたとしても、買収投票は絶対に行われておらぬ。勝敗は別として、立候補した人の顔ぶれから見て、ごく低いほうの者でさえ、一府県における代表的な人であり、候補者の多くは、天下の名士ともいうべき立派な人物であった。・・・・・・したがって、当落にかかわらず、候補者に対する、選挙人のもつ尊敬の態度は非常に高いものである」

 今回のブログでは、この時の当選者の中で私が尊敬する人物を選挙区の北から南に列挙してみる。

 大江卓、河野広中、田中正造、津田真道、中島信行、中江篤介(兆民)、尾崎行雄(咢堂)、陸奥宗光、犬養毅、竹内綱、林有三、片岡健吉、植木枝盛、などなど。
 ざっとピックアップしただけでも将に“綺羅星のごとく”の人々である。現在の政治家の中に、百年百数十年経って評価されるこのような人物がいるであろうか?否、いない!絶対にいない!と、断言できる!

 個々の人物紹介は次回以降に譲り、今回はここまで。

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2017年10月23日(月) 11:07

戦い済んで日が暮れて・・・。

 第48回衆議院議員選挙が終わった。
 事前予測に大きく違わず、大きな変化もなく、将に「戦い済んで、日が暮れる」感でした。

 先ず自民党ですが、このタイミングでの解散は結果的に成功でしたが、もし、“敵失”がなければ、政権交代とまではならないまでも、もっと違った(自民党には厳しい)結果になっていたかもしれません。
 今回の自民圧勝で安倍さんは引き続き政権を担うと思いますが、政権運営次第では直ぐにレ―ムダック(死に体)となり、次のリーダーを模索する動きが始まるでしょう。
 次の総理候補(自民党の総裁・リーダー)と目されるのは石破茂さんか、岸田文雄さんか、野田聖子さんあたりといわれていますが、今回の選挙戦の中で注目されたのは小泉進次郎さんでした。彼は応援演説の中でも安倍さんの加計問題に対する説明責任をしっかり求めていたし、何よりも安倍さん以上の“人寄せパンダ”役を果たしておりました。
 もし自民党が安定政権を求めるならば、大胆な人事で小泉進次郎さんを次期リーダーに育てるべきでしょう。
 今回の選挙結果で更に、派閥中心の総理・総裁、大臣を生み出すであろう自民党に30歳代の総理大臣を誕生させるのはとても期待できませんが、国民・有権者に、政治に期待感を持ち続けさせるにはそのようなダイナミックな変革が必要です。

 次に公明党。
 山口代表はとても演説が上手で、あのソフトな人柄は、公明党以外の人たちにも好感を持たれていると思いますが、今回の選挙中の他党批判は見苦しく、聞き苦しかった。
 更に、憲法改正と消費税の増税という自民党の政策に安易に与するのは、支持母体の人たちに支持されているのであろうか?
 はなはだ疑問である。
 公明党は“平和と弱者の側に立つ政党”だったのではないのでしょうか?  敗因は自分自身にあった。
 今からでも遅くない。権力にしがみつくより、与党内のご意見番に徹するべきである。

 さて希望の党である。
 小池百合子さんの『排除』という言葉(たとえ独り歩きだとしてもキツイ!マスコミは「暴力団排除」の時にしか使わないらしい)が、有権者の期待を裏切った、といわれるが、その以前に私は次の数点を問題にしたい。
 @ まず憲法改正問題である。あれだけ明快に憲法改正OKと言われると、(なら自民党政権のままで良いじゃん、「希望の党」って    自民党の補完政党?投票や〜めた)と思ってしまうのは私だけでしょうか?(どうして私に相談しなかったのか?)
 A 次に原発ゼロ問題。長期的には了としますが、原発が化石燃料より環境面では優しいというプラス面や、小池さんの持論であるプロセスをチャンと説明して欲しかった。(どうして私に相談しなかったのか?)
 Bそして私が何よりもガッカリしたのは「3都物語」という思い付きのような言葉と動きだった。大阪や何処かの道府県の事よりも、小池さんは都知事であり、新党「希望の党」の代表なのであるから、東京という(小さな国よりもはるかに大きな予算規模の)地方自治体と日本という国のあり方を問題提起するべきであった。そしてそこに、都知事のままで立候補(単独比例の、それも最下位で)するための論理性(正当化・エックスキューズ)を求めるべきであった。(どうして私に相談しなかったのか?)
 C もうひとつ、「希望の党」という党名である。頭の悪い私は、選挙中に何度も(小池さんの党はエーと「幸福」?「希望」?と)反芻してしまったように国の将来を託するネーミングでない、単なる、何かの単語を形容する言葉でしかなかった。(どうして私に相談しなかったのか?)

 最後に「立憲民主党」である。
 この政党の立ち位置を表す“リベラル”という言葉に関しては今回どうも悪いイメージが付きまとい、“リベラルな市長”だった私としては甚だ不満であるが、「立憲」というネーミングには脱帽である。
 この政党の大勝の原因は、判官贔屓と、希望の党への失望が大きな要素であるが、私はこの政党名の良さも大いに寄与していると思っている。「みんしん(民進?)→?「妊娠(?)」と聞き間違える今までの政党名よりはるかに良い!

 閑話休題

 ここで、明治23年の第一回総選挙に言及する。

 「日本人が自らの意思と努力で憲政をやってみた日本のデモクラシーの原点ともいうべき選挙であったが、すべての本に、この選挙は干渉も腐敗もまったくなく、理想的に行われたと書いてある。」(岡崎久彦著 『陸奥宗光とその時代』より)

 この時に当選した人々は、今の政治家とは雲泥の差で、将に“綺羅、星の如き"な政治家たちであり、後の歴史に名を残しているそうそうたる人物ばかりであるので次回、できるだけ一人ひとり紹介するつもりでいる。  この時の政党名が板垣退助の「立憲自由党」であり、大隈重信の「立憲改進党」であった。ネーミングは大切である。

 小池百合子という1人の女性の感性では、とても国民・有権者の心に訴える党名は出てこない。(もう一度!どうして私に相談しなかったのか?)

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2017年9月25日(月) 12:46

最近の大相撲・政局・北朝鮮問題に思う事。

 1.大相撲

   大相撲秋場所が終わった。
 今回、私が最も問題にしたいのは“立会い”である。
 優勝した日馬富士が最初に負けた3日目(だったと記憶しているが)の立会い、彼は充分両手をついていたが、琴奨菊は右手を付かないまま立った。日馬富士は立ち合いが不成立と思い、力を抜いて相手の背中を叩いてアピールしたが、軍配は返っており、行司はそのまま続行させたので、日馬富士はあっけなく押し出されてしまった。
 翌日と翌々日は、その立ち合いの行司のミスを、自分自身の責任とせざるを得なかった事を引きずっての負けだったようだ。
 あの3日目の立ち合いを行司がチャンと処理していれば、日馬富士はおそらく14勝前後で優勝したと思う。彼は一人横綱の責任を充分果たせるほど元気だった事を、その後の相撲内容と優勝で証明した。
 行司の不手際と、その時の勝負審査役の4人の判断力・対応力の無さと、相撲協会の指導力の欠如の証明として、逆にあの取り組み以降の多くの立会で、両手を付けさせる為の”待った”が何度も指導されていた。ならばあの時に何故待ったをさせなかったのだ。

 問題なのは相撲協会の、立会時に両力士へ両手をつかせる行司に対する指導と、力士全体への不徹底である。
 最近は、昔のユルフン(ふんどしの締め方を緩くして自分に有利にした)横綱の輪島のような、両手も付かない立ち合いこそ流石に見られなくなったが、まだまだ片手での立ち合いが見られる。
 特に今場所は立ち合いの一瞬で流れが決まる勝負が多かったので、これからも“立ち合いの両手着きか否か”が課題となろう。

 それにしても、最近は飛んだり、変わったり、叩き込んだりの曲芸相撲での勝敗が多い。
 全体に、寄り切り、押し出し、上手投げのような正当な技が減っており、相撲の“美しさ”が失われている。
 力士たる者、日頃から稽古には先ずしこを嫌というほど踏み、すり足を基本に、脇を固め、頭を低く、「押さば押せ、退かば押せ」の基本を繰り返す必要がある。そうすれば怪我も激減する。

 相撲協会の指導に猛省を求める。


 2.政局

 次に政局である。
 驕り政治(自分では意識していないのが問題)の安倍総理大臣が、衆議院の解散を表明した。
 今回、”大義なき解散”としきりに言われているが、まあ、解散権は総理大臣の“伝家の宝刀”といわれており、まず自派の勢力を増やし、自分の求める政策を実現する事が政治(家)の基本であるのだから、解散は仕方がないであろう。

 明治25年、陸奥宗光は「将来の目的なくして議院を解散するの不可なることを痛論したにもかかわらず 云々」と『小伝』に書いているが、今回の安倍さんにとって、消費税の10%、憲法改正などが陸奥の言う“将来の目的”なのであろうから(それらが命取りになるのも知らず・・・)、解散は仕方がない。

 国民・有権者は、今回の解散を「森友問題」と「加計学園」の問題からの逃げと思っており、決して忘れていない。
 森友学園問題では、国有地が鑑定評価より8億円余り低い価格で売却されたし、加計学園の特区認定の不明朗さや、今治市と愛媛県が市有地(16,8ヘクタール)を獣医学部の建設用地として無償譲渡し、建設費など96億円を補助しようとしている問題などが今後も続くので、安倍総理や自民党が考えている以上に、この批判は大きい。
 役人の“忖度”がとりざさされたが、「雌鶏鳴いて 国滅ぶ」との故事の通り、ミセス安倍とそれを許している総理自身の罪は大きい。国を滅ぼすあの女の顔はもう2度と見たくない。はやくテレビなどから削除してほしい。

 憲法改正は国民投票が大前提であるから、幾ら賛成の比率のハードルを下げても不可能である。

 増税が(今回の消費税も)、為政者の政権維持の命取りになるのは歴史の厳然とした実態である。


 3.北朝鮮問題。

 安倍さんが北朝鮮を「断じて許すことはできない!」と強がるのを聞く度に虚しく感じる。
 無力な日本の軽々しい総理の言葉は北朝鮮の金なんとかにとっては「負け犬の遠吠え」でしかないであろう。

 問題はアメリカの総理大臣がトランプだという事である。
 歴史が良い事ばかりではなく、不幸が重なる事が多いという事は、東日本大震災と福島原発事故の際の総理大臣が管直人だった事が証明している。
 あの時もし自民党政権だったら、スリーマイル島の教訓を生かすというアメリカの申し出を受けたであろう。
 不幸は重なるものである。

 北朝鮮はアメリカ本土を攻撃しないであろう。
 アメリカは真珠湾の報復に広島・長崎への原爆投下や東京など本土の爆撃をし、9・11のツインタワーへの航空機突入の報復にアルカイダとオサマビンラディンへの攻撃と殺害を実行した。北朝鮮がもし本土やグアムを攻撃したら、北朝鮮の国家そのものが壊滅されるであろう事は容易に理解できるから、言葉だけの攻撃に終始する。

 北朝鮮にとって韓国は同胞であるし、いずれは核兵器の力で韓国を併合するつもりであろう。
 早速、韓国の大統領が北に対して人道的支援(8億?)を表明したが、脱北者以外からは余り反対の声が聞こえない。
 しかしこの人道的支援、まるで子供を殺された雌猿がそのオス猿に体を許す行為のようで不愉快である。
 どうやって人道支援に使わせるのか?出来ると思っているのか?負け猿のようである。

 となると、北が攻撃し易いのは日本であろうか?その中の米軍基地か?
 70年前に日本は敗戦国となった為、未だに軍事力は制限されたままである、と私は考えている。
 だからと言って、核保有国になれとは決して言わないが、なんとか現状を打破しないといけない。

 とりあえず、安倍総理のような軽率な指導者は国を危うくする。

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2017年9月20日(水) 16:01

私の講演会や会長を務める団体の大会などが行われました。

 大型で強い台風18号が秋雨前線を巻き込んで九州に上陸しそうな9月16日、かねてより土屋研究室主催が企画しておりました講演会「土屋きみやす世相を語る」を実施させていただきました。
 会場は、私の大和市議会議員選挙の2期目(平成3年)に選挙事務所として使わせていただいた大和の鹿子嶋建設に1Fギャラリー。久し振りに使わせていただきました。
 当初は20〜30人くらい来ていただければ嬉しいな・・・と考え、講演の後に皆様と座ってお茶を飲みながらお菓子をつまみ、懇親会をする予定の「アフタヌーン・テイーパーティ」でおりましたら、約60人の申し込みを頂き、台風の影響とかでお出でにならなかった人もありましたが、逆に事前申し込みのなかった人もいらっしゃったので、結局プラスとマイナスでジャスト60人(会場一杯で椅子の数もぎりぎり)の方々にお出でいただきました。

 講演の内容ですが、昨今の安倍総理の問題(驕り=おごり)を指摘しようと思い“世相をかたる”と題したのですが、北朝鮮のミサイル発射や国民ファーストの新党結成の動き、ガタガタの民進党など、国民の関心事であるニュースが刻々と変わりましたので、そういった事にも言及しつつ約1時間半お話をしました(レジュメをご参照ください)。

 もとより、政治の話・イデオロギー問題・まだ評価も流動的な過去100年から150年くらいの歴史・憲法問題などでございますので、冒頭によくテレビのテロップで流れる「これは個人の意見です」という言葉を強調してスタートいたしました。
 私の準備不足でマイクが使えなかったため、地声で一番後ろの方にもよく聞こえるように大きめの声で話しましたが、幸い皆様がずっと静かに聴いていて下さいました。


 その内容でございますが、原稿無しのぶっつけ本番、出たとこ勝負でしたので、お話ししたい事の半分も話せなませんでした。  ご関心のある方は、次回も考えておりますので、具体的に企画いたしましたら、このブログでお知らせいたしますので、是非おいで下さい。  最後に、皆様に健康で長生きしていただくための健康法の秘訣もお話しさせていただきました。

 そして、コンサート(ライヴ)と勘違いしてお出でいただいた方もいらっしゃいましたので、亡くなった友人の形見のウクレレで私の唄を1曲と、家内の唄を2曲、ご披露させていただきました。


 翌日は私が会長をしている大和民謡舞踊連盟の創立45周年記念大会を大和の新しい文化芸術の殿堂であるシリウスのメインホールで開催いたしました。  やはりあいにくのお天気でしたが、無事に終えることができました。  参考までに、事前にタウンュ―スから取材を受けました私の記事(「人物風土記」)をご覧ください。

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2017年8月28日(月) 17:00

この夏。新しき事と毎年の事、久しぶりの事、などなど。

 今年の夏も、間もなく通り過ぎようとしています。
 7月から8月という季節は、恒例の行事が多く、そこに暑さが加わり、なんとなく気忙しいシーズンなのです。

 7月には毎年行きたい行きたいと思っていた京都の祇園会(え)に行って来ました。




 暑かったけれど、やはり歴史のあるお祭りだけに、観るもの聴くものすべてに感動しました。
 それに私は京都が大好きだから、暑さも一緒に楽しみました。

 7月19日から20日にかけては、毎年恒例の富士登山。



 今年は久ぶりの須走口を登りましたが、結構きつかった!
 本七合目の山小屋「見晴館」に泊まったら、そこで藤沢の人と一緒になり、翌日早朝の頂上への登りから下山まで、ずっと一緒に行動しました。
 頂上の富士浅間神社奥の宮で高齢者登山の記帳をし、かわらけでお神酒を頂き、記念の扇を頂いてきました。
 これで、富士吉田ルート2回、御殿場ルート1回、富士宮ルート3回、須走ルート3回になったかと思います。

 ちょうど、登った日に梅雨が明け、珍しく登山者の少ない、晴天に恵まれた2日間でした(この後は富士山も下界と同様に悪天候が続いたようでした)。


 来年は富士宮ルートを早朝からスタートし、その日に頂上を極め、頂上から山中湖に沈む夕日の影富士と、翌朝のご来光、西の大沢崩れ方向に映る朝日の影富士を拝もうかと思っています。

 翌日1日は家で体を休め、22日から23日にかけてはヨットで千葉県の保田(ほた)にクルーズいたしました。
 両日の往復とも結構風が強く、特に往路だけで3人が下船したので更に風が強くなった復路は、私他スキッパーが2人とゲスト1人という小人数。なかなか厳しいセーリングでした。
 千葉の民宿はいつもの定宿で、相変わらずお魚料理が美味しかったです。

 8月は毎年1日が菩提寺の「施食会(=せじきえ=施我鬼)」。
 檀家総代は他の世話人と異なり、全体を総括する“総務”のために特に仕事はありませんが、朝から夕方までは詰めていなければなりません。そうそう、今年は私が法要の後の閉式の辞(閉会の挨拶)をやりました。
 この日の午後からは大雨でした。
 13日の迎え火から15日の送り火まではお盆。お坊さんが来る“棚経(たなぎょう)”は今年は13日の午前8時半からでした。

 お盆明けの16日から17日には、数十年振りに西伊豆の岩地に行って来ました。


 早朝に家を出発、東名→新東名→伊豆縦貫道をひた走り、松崎で10時のオープンを待って国指定重要文化財の「岩科學校」、「伊豆の長八美術館」、「明治商家中瀬邸」を見学、その後、美味しいお昼ご飯を近くのお店で食べ、午後2時に民宿にチェックイン。
 この松崎港での海浜料理はとても美味しかった!特に子供達の定食にまでたっぷりついた本わさび、ワサビの茎の佃煮、珍しい塩辛などなど、満足のお食事でした。
 16日と17日は海遊び。内孫娘と預かって連れて行った外孫(中1と小1の男の子)と一緒に、砂浜で泳ぎ、岩場でシュノーケリングを楽しみました。


 この民宿でも海浜料理を堪能。朝早く釣りに行った息子の釣果のお魚も刺身にしてくれました。
 帰りは東名の渋滞を避け、熱函道路から箱根に登り(霧がすごかったが)スイスイと進み、(箱根新道に入る予定がつい有料道路のターンパイクに)入り、小田原厚木道路を帰ってきました。
 伊豆縦貫道辺りから既に渋滞、厚木の小田・厚から東名に入る所も渋滞していましたが、東名をチョイスした皆さん、お疲れさまでした。

 その他の日は、関係する会社や団体の会議、ゴルフ、スポーツジムのプ―ルでの泳ぎやウォ―キング、家での寛ぎ(甲子園観戦や鳥人間コンテスト観賞など)健康的な夏の毎日です。

 26日は恒例の大学の校友会主催地引網が大礒で行われ、息子一家や外孫たちと共に参加しました。


 私はその足で葉山マリーナに向かい、「8月だよ、全員集合!」というイベントに参加。
 我がヨットのクルー他で編成するバンドで、私も1曲唄いました。曲は「What A Wonderful World(この素晴らしき世界)」。
 でも、もうそろそろこのバンドからは引退するつもりです。

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