土屋きみやす−ツッチーレポート

2007年6月22日(金) 00:00

2007/06/22 12:03

全国市長会の会長に秋田市長の佐竹敬久氏が就任した。
 一連の選考過程に関わってきた私には感慨深いものがあるので、その顛末をご報告する。
 そもそも、全国市長会で「全国の会長なのだから、立候補と選挙で民主的に選ぼう」という声があがり、公選が進んでいた。

 4月までの立候補者は、出雲市長と静岡市長、そして選挙中に暴漢に襲われお亡くなりになった長崎市長の3人であった。
 当時私は、意見を纏めその意向を尊重して投票する神奈川県市長会会長と関東支部支部長をしていたからか、3人の立候補者から支持の依頼文書やお電話をいただいていた。
 出雲市長は大和市役所まで訪ねてこられたが、あとのお二人には「わざわざお越しいただくのは大変ですから電話で結構です」と来訪を断り、電話をいただいた。
 特に思い出深いのは、志半ばでお亡くなりになった伊藤一長長崎市長である。
 お互いに市長選挙の直前であったので、私の携帯に電話してきた伊東市長とそれぞれの選挙状況の話などをした。JA鶴間支店の駐車場に車を止めて電話を受けたこの時の状況は生涯忘れることはできない。

 さて、その伊藤候補者が凶弾に倒れた為に、補充立候補を認めるかどうかを決める会長選考委員会(全国9地域の支部長で構成)が急きょ開催された。
 重苦しい会議であった。
 候補者を亡くした九州支部は特にコメントを遠慮して「九州からの新たな立候補は出さない」とのことであった。
 候補者を出している中国支部と東海支部は、当然「補充をしないで残る2人で選挙を」という意向であった。
 選考委員会が開催されるまでは、残る2人で選挙が行われるであろう事を確認してオーソライズするためのもののようであった。
 そこで私が「まったく想定外の状況が起きたのだから、補充立候補者がいてもいなくても一応公募するべきである」ということを、あの事件後の長崎市長選挙を例に発言した。
 四国支部長ほか数人の支部長が私の意見に賛成してくれて、選考委員会は「補充立候補を募る」ことに決定して閉会した。

 その後のことは、凶弾(じゃなかった選挙結果)で私自身が県市長会会長でも関東支部長でもなくなったので知らなかったが、あの時の私の主張が会長選出に大いに影響したことを新聞報道で知った。

 さて、ながながとコップの中の嵐のような話を披歴したが、私の言いたいことはこの一連の話を県内や市内に置き換えて考えていただきたいからである。
 幸か不幸か、出雲も静岡も遠いし、私は一般人になっているが、これがもし県内や市内のことであったらどうであろう?
 正論を主張して、それが多くの民意にも合致していたとしても、その為に不利益を被った人から逆恨みされる。 “出る杭は打たれる”のである。
 私の生き方は“筋を通す”ことであり、それは座右の銘である「知行合一」の実践だからである。

 ところで神奈川県の或る幹部が私に言った。
 「知事の座右の銘ご存知ですか?」、「笑顔と愛嬌。知事の座右の銘が、ですよ」」と・・・・。

 座右の銘は別にモットーでもいいんだ、知らなかった。

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