土屋きみやす−ツッチーレポート

2008年2月28日(木) 00:00

2008/02/28 08:28

2月26日は「2・26事件」があった日。
 起きた日ではない、青年将校が憂国の至情(まごころ)から国家改造(昭和維新)を目指しクーデターを起こした日である。

 以前から2・26事件に深い関心を持っている私は、26日には麻布の賢崇寺をお参りしようか、湯河原の「光風荘」に行こうか迷った。
 賢崇寺は青年将校たちが処刑された7月に行くことにして、今回は湯河原に行ってきた。
 「光風荘」は老舗温泉旅館伊藤屋の元別館で、前内大臣牧野伸顕伯爵が襲撃されたところである。

 牧野伯爵襲撃の担当青年将校は河野壽陸軍大尉。
 事件後、熱海の病院で自決。享年28歳、独身であった。

 牧野伯爵は逃れて無事であった。
 (この時一緒にいて伯爵を逃した孫の和子は吉田茂の娘で麻生太郎の母親である。)

 
 この青年将校たち“皇道派”は「北進論」すなわち警戒すべきはロシアという考え方。
 他方の“統制派”は「南進論」。

 青年将校たちは昭和天皇のお怒りを買い「反乱軍」「逆族」となってしまったが、もし(歴史にifは禁物だが)、皇道派が軍を掌握していれば、すなわち2・26事件が成功していれば、日本は世界大戦(太平洋戦争)の泥沼に入り込まなかったのではないか?
 たとえば、軍を指導する立場のリーダーが東条英機ではなく、皇道派であるがゆえに南に飛ばされた山下奉文陸軍大将だったら、などと考えつつ湯河原のボランティアの方々の説明を聞いていた。

 このような考えを披歴すると、“土屋は右寄り(右翼)”と思われるかも知れないが、私は純粋な青年将校たちに幕末維新の志士を投影して見ているのである。

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