土屋きみやす−ツッチーレポート

2009年3月24日(火) 00:00

2009/03/24 15:04

 身内の御縁のご挨拶で、大阪に行ってきた。
 その夜はブルーグラスのライヴハウスに行き、翌日は途中から家内と別行動でライフ・ワークの「まちづくり」の“視察”。

 大阪といえば“逸翁=小林一三”。
 箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)の経営に沿線の住宅地開発を行った人物で、私が考えるに、もっとも英国・エベネザー・ハワードの“ガーデン・シティ”をこの百年間の日本で実現させた人だと理解している。

 渋沢栄一に五島慶太を紹介したのも小林一三だったと理解しているので、東京の田園調布など関東における“田園都市”実現にも小林の影響は大きかった。

 さて、私の“視察“の行程であるが、新幹線の関係で新大阪に午後4時頃に戻ってくる必要から

 雲雀丘花屋敷→宝塚→池田→箕面→千里中央→千里山 を経巡った。
 (写真参照)

 「雲雀丘花屋敷」は、駅のすぐ近くに瀟洒な和洋の住宅が見え、往時の雰囲気が色濃く残っているが、最近は多くの邸宅跡にマンションに建て替えられている。



雲雀丘花屋敷駅近くの瀟洒な住宅


 「宝塚」はさすがに“宝塚歌劇団”で、今でもまちづくりや商業、観光でにぎわっており、成功例の代表格であろう。
 花のプロムナードに小林翁の銅像と宝塚市長の顕彰碑が。

宝塚の花の道に建つ小林一三銅像

 小林一三の考えた“まちづくり”には、鉄道駅から道路、街路樹、一戸建ての住宅、広い庭園、街路灯、下水、購買組合、娯楽機関としての倶楽部、公園、果樹園、買回り品を提供する店舗などと共に、今で言うところの“アミューズメント”施設を誘致もしくは建設している。 
 我が家の近くで言うと、小田急電鉄の向が丘遊園地や多摩ニュータウンのサンリオがイメージされる。
 その点では宝塚の現在の姿は、小林一三氏にとって想定以上の賑わいと発展であろう。

 「池田」は“日本で最初の戸建分譲住宅”の地であり、“逸翁記念館”を見たかったが、改装中とのことで、次回に譲ることにした。

 「箕面」は、駅広から道路が放射線状に延び、往年のまちづくりを充分イメージさせる。
 大阪全体に言えることだが、周りの山々から水が流れ、まちにうるおいをもたらしている。
 箕面も水がとても生活に溶け込んでいた。

箕面駅の近くを流れる清流


箕面駅前の風景


 箕面から阪急バスで千里中央に。
 ここは、東京でいうと新宿、渋谷、池袋の副都心の次に出現した各新都心。
 大都会である。
 ここからモノレールという新しい交通手段を利用して山田へ。
 「千里山」は時間もなかったので、チョイと見た。
 駅のすぐそばに、同潤会アパートか、大和でいう“上和田団地”のような建物がせまる。

 ここから、阪急で梅田に行き、JRで新大阪へ。
 淀川を何度も渡るアクセスの悪さは、仕方がないのか?
 大阪ももっと地下鉄を作ればいいのに、と思った。

 帰りは、満州鉄道以来の広軌鉄道の歴史を考えながら、ウトウトしていたら新横浜に着いていた。

written by kimiyasu [ツッチーレポート] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)] [TB(0)]

この記事へのトラックバックPingURL

Comments

TrackBacks

土屋きみやす−ツッチーレポート

MySketch 2.7.4 written by 夕雨