土屋きみやす−ツッチーレポート

2010年3月19日(金) 00:00

イギリス紀行 (その5)

 前回ご紹介した、広い道路の公園のような部分にあった銘板は、1つが3つの部分に分かれており、上部には「ブロードウエー ガーデン」と「レッチワース ガーデン シティ」の言葉とその風景が彫り込まれている。
 「ブロードウエー」とは「南北に走る大通り」とか「メインストリート」という意味だから、やはり札幌の大通公園のイメージなのである。
 そしてこの図の左下には「セントラル スクエア レッチワースのレイアウトをスケッチしたものを示している」とある。

 下の左部分の文章には、レッチワースの歴史やこの銘板を設置した経過も書いてある。
 ざっと読んでみると、

 @ 世界で最初のガーデン シティでオープンは1903年の10月9日であった。

 A この新しいデザインはE・ハワードが生活の為に都市と田園の最上の要素を結合して考案したもので、理想像としては世界の中で最も素晴らしい思いつきとして残っている。

 B バリー・パーカーとレイモンド・アンウィンのマスタープランがコンペティションで指名され、1904年に建築・設計のコンサルティングを指名した。

 C この銘板にはアンウィンの提案したマスタープランを、2003年5月6日のレッチワース・ガーデン・シティ100周年を祝して示している。

 D 2003年6月6日にセントラル・スクエアをブロードウエー・ガーデンに留め、再び献呈された。
  (蛇足だが、スクエアとは4辻の中央広場・4方を街路に囲まれた広場)

 E 修理復元費用の120万ポンド(約1億8千万円)は文化的遺産の為の宝くじ基金が当てられた。

 などがなんとなく読み取れた。

  (箒かブラシがあれば、石ころや泥を掃いてもっと読めたのに・・・。)

 そして、左下部分には「PROPOSED TOWN SQUARE LETCHWORTH」とあるように、中央広場の提案が描かれており、ここには教会ビルやコートヤード(中庭)、まちの他の公共建物用地などが描かれている。

 私が銅板とか銘板と称しているこの飾り板・記念プレート(Plaque)を見ていると、つくづく2003年の100周年記念の時に訪れたかったと感じた。

 さて、このあたりを歩いただけで幾つかの教会や幼稚園、集会所などが見受けられた。


 私が大和市長のとき、市民は何もかもを行政に頼るのではなく、住民が主体的に地域のことを行う“市民自治区”構想を打ち出したが、その参考にしたのが欧米の“教区(パリッシュ)”や“コミュニティ”であり、ここレッチワースに今でもパリッシュ・チャーチ(教会・写真1)やパリッシュ・ホール(集会所・写真2)があるのを見て、改めて自説を実現しようとした事の正しさを実感した。


教会(写真1)




集会所(写真2)



 今でもお会いする市民の方々から“市民自治区”を評価していただくことがあるが、これもいずれ住民自治のあるべき姿として、再評価されるであろう。

 余談になるが、名古屋の河村市長は議員定数の半減と共に、私の“市民自治区”と同じ発想の“住民自治区”構想を打ち出している。

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