土屋きみやす−ツッチーレポート

2011年4月3日(日) 00:00

3月の様々な出来事 その3

「東日本大震災」の被害は、地震よりも津波によるものであり、その後、最大の問題は福島原発の事故である。

直後の12日(土)の座禅は、余震もあり、さすがに行きませんでした。

でも13日(日)の会議や踊りの会、更にその午後、大和カルバリーチャペルで予定していたノーベル平和賞受賞者の根岸さんの講演会には行って来ました。

講演後、根岸さんは著書のサイン会でお忙しいので、義兄のS木さんに「よろしくお伝えください」と伝言して失礼しようと思いましたら、「是非あっていってください」との事でしたので、御挨拶をさせていただきました。



 根岸さんは、同級生の私の姉(長姉)や、湘南高校時代1学年先輩だったの私の兄の事よりも、「(私の父の)土屋利保さんが思い出深い」とおっしゃっていました。
 また、根岸さんの奥さん(S木さんの妹さん)は「お宅の姉さん(次姉)のN子さんとは和中と藤沢高校一緒でした」と言われました。また、「チャーミングな方でした」と言われたので、弟としては「????????」っていう感じでした。

 和中時代の事の確認や、転校したという誤情報をブログに掲載したお詫びを言おうとしましたが、そこまでお話できませんでした。

 23日(水)、またまた別件の依頼事で我が家にお出で下さったS木さんに伝言をお願いいたしました。
 6日の講演の中で、長い時間、根岸さんが言葉に詰まったことについて、S木さんが「あれは何だったのでしょうね?」と訊かれましたので、「たぶん恩師(S木さんの御父君)の事を思い出したのでしょう」とお答えしたのですが、色々と思いだすことがあったのだと思いました。

 その後、3月の様々な行事等のほとんどは中止や無期限延期となりましたので、以上で3月の様々な出来事を終わります。

 さて、大災害や原発事故の事について今後思いつくままにいろいろと書きたいので追って書いて行きたいと思います。
 とにかく、関東大震災の後に後藤新平が行った復興計画や、人口増による失業者の増加と環境の悪化、黒死病の流行などからロンドン郊外に新たなまちをつくりだした100年チョッと前のエベネザー・ハワードのまちづくり(レッチワースのガーデンシティなど)を大いに参考にするべきである。

 そうそう、最近思いだしたことがある。
 新潟中越大地震の時、当時のケリー在日米海軍司令官に、「新潟港の沖合に空母で救援物資を運べないか?」と提案したことである。
 当時、この案は実現しなかったが、米海軍の家族の皆さんから数百万円の義援金が集められ、送られた事で、その効果はあったと思っている。
 今回、原子力空母ロナルド・レーガンが救援に来ているのを見て、かつての私の提案が活かされた、と感じたので、ここに書き留めておく。

 かつてカリフォルニアで、私が(これだけはやりたくなかった・・・)ジェットの艦載機で着艦し、視察をしたのが、この空母ロナルド・レーガンである。

written by kimiyasu [ツッチーレポート] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)] [TB(0)]

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