土屋きみやす−ツッチーレポート

2013年3月1日(金) 00:00

前回の続き・いよいよ3月。

 いよいよ花と太陽と風がさわやかな弥生3月。明後日の3月3日、私も67歳になる。
 前回の補足等を。

 2月21日に行った「山十邸」は、ちょうど吊し雛が飾られてあったのを書き忘れた。
 「吊し雛」は何となく伊豆方面をイメージするが、どこの地方で飾られるのか、それとも、いつの時代からなのか、私は知らない。

 2月23日の「そば打ちの会」に来てくれた中の1人の友人(中学校時代の女友達)が、懐かしくも嬉しい話をしてくれた。
 昔、大和駅前で某県議選立候補予定者の応援演説をした時のことである。  街宣車の上に乗っていたのは、当時の県議選立候補予定の本人、応援弁士の千葉景子参議院議員、菅直人衆議院議員(のちの総理大臣)、私、であった。彼女が言うには「菅さんより、土屋さんのほうがよっぽど、演説が上手かった」って。忘れかけていた昔の情景が思い浮かんだ嬉しい思い出話であった。

 もうひとつ、やはり昔からお世話になっている別の女性は、「土屋さん、サッカーの長友に雰囲気が似ている」って。初めて云われたが(似ていないし、長友のほうが断然カッコ良い)けど、お世辞でも、嬉しい。
 21日に、愛川町の友人(高校時代の女友達)のお宅から貰ってきた、花(マンサク・サンシュユ・紅梅・椿)を玄関の壷と廊下の花器に投げ込みで飾ったは、そば打ちの会に来ていただいた方々にも好評だった。


 最後に、2月23日に四九忌日の法事だった土屋親族の、その葬儀・告別式の時の根岸英一さん(と奥様のすみれさん連名)のメッセージ(弔辞)の全文を以下紹介する。

 はじめて、土屋先生にお会いしたのは、第二次大戦後二年目の1947年の春、新しく出来た大和中学に英語の先生として来られた時のことで、もう六十数年前になる。先生のスラリと背が高く、ダンディなお姿は、なりふりかまわず遊びだけに夢中だった私にも、強い印象として今も脳り(裏・筆者注)に焼きついている。
 英語のクラスが始まるやいなや、私はより高いじげん(次元・筆者注)で土屋先生のとりこになっていた。当時の日本人の発音と云えば、誰とは云わず、いわゆるJapanese English であったが、土屋先生の発音は当時放送されていたFEN(Far East Network?)の発音に極めて近いものだったと子供ながらに記憶している。それを更にわれわれ中学生にユーモアたっぷりに、かつ辛抱強く教えて下さった。
 「キャット」ではなく(「キ ヤッ ト」・ヤを大きくしてキとトを小さく・筆者注)!他人が笑えば笑う程良いから、思いっきり、大きなアクセントを正しくつけてしっかり発音すること」と教えて下さった。

 生来、暗記ものはあまり得意でない私もすっかり英語のトリコになり、数十年たった今や、なくてはならない商売道具になっている。

 土屋先生はわれわれを後輩の友達として接してくださったという印象・思い出が強い。草野球を一緒にやったり、お宅にも複数回よんでいただき、ごちそうになったことも、忘れられないすばらしい想い出として生きている。

 約半世紀以上もたった一昨年、お元気な姿にお会いできたのは私の大きな喜びである。しかし、その先生はもういない。言葉では表現出来ない悲しみの中で、ひたすら「土屋先生、安らかに天国でお休みください」とお伝えしたい。

根岸 英一   
すみれ   

 他の弔電や弔辞を一切紹介しないで、アメリカから送られてきた自筆のこのメッセージだけを読み上げた当日の告別式は、参列者に大きな感動を与えた。

 23日の49忌日の精進落としの席で、一族を代表して、「将に“教育者冥利に尽きる”弔文だった」、と、締めの挨拶をした。

 不特定多数の参列者に紹介されたものだが、ここに改めて施主から頂いたコピーから全文紹介させていただいた。

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