土屋きみやす−ツッチーレポート

2014年12月20日(土) 13:48

講義の報告(まず第9回目)

 またまた、4週分の講義(2コマだから8回分)をためてしまいました。
 友人や受講生からブログが更新されないことを指摘されており、気になっておりましたが、いよいよ今年最後の講義も昨日終えましたので、年内中に順次ご報告いたします。

 2時限目第9回は「足尾鉱毒事件の“田中正造”について。その2」でした。

 レジュメの1では「歴史を読む場合の留意点」として、「板垣死すとも自由は死せず」(実際こんなセリフは襲撃された時には言っていないらしいが)という言葉で有名な板垣退助が暴漢に襲われた時、治療したのは後に関東大震災後の大復興を成し遂げた内務大臣・東京市長の後藤新平(当時は若き医師だった)が治療したことや、田中正造が時の農商務大臣に現地視察を何度も懇請した大臣にその後藤新平や榎本武揚がいたこと、さらにその歴代大臣の中で榎本武揚だけが誠意のある対応や現地視察をしたことを話しました。

 レジュメの2では、佐藤一斉を例に挙げて、歴史で巷間伝えられる佐藤一斉とは異なった事例、例えば、大塩平八郎が彼の著書『洗心洞箚記』に序文を依頼したのに書いてやらなかったことや、渡辺崋山が蛮社の獄で罪を着せられたとき、他の門人が助命や減刑の嘆願を頼んだのにしなかった事などから、彼は「陽朱陰王」(陽明学者と言われていたが実際は昌平坂学問所の御用学者であり朱子学者だった)や「言行不一致」などと(明治時代になって)批判された事を話しました。
 しかしながら、私も佐藤一斉から多くを学んだことや、その著『言志四録』から「少にして学べば壮にして為すあり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず」といったような事例も紹介しました。

 そして、レジュメの3では、本題の田中正造の直奏(通常は直訴と言われている)文を読み込みました。
 なんといっても直奏文の後段にある六項目(渡良瀬ノ水源ヲ清ムル其一ナリ。河身ヲ修築シテ其天然ノ旧ニ復スル其ニナリ。激甚ノ毒土ヲ除去スル其三ナリ。沿岸無量ノ天産ヲ復活スル其四ナリ。多数町村ノ頽廃セルモノヲ恢復スル其五ナリ。加毒ノ鉱業ヲ止メ毒水毒屑ノ流出ヲ根絶スル其六ナリ。云々)が重要であることを講義しました。

 4時限目の第九回目は、「B『大和市自治基本条例』について。その特徴と話題性。」と題しての講義でした。

 まず、ここに添付しました私のエッセイ「知天蒼」(「条例」の制定趣旨」H16.8.19付神奈川新聞)と「まほろば」(H16.11.1付「広報やまと」)を読み、次にマスコミ等で話題になった部分の紹介等を講義しました。




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