土屋きみやす−ツッチーレポート

2016年11月28日(月) 14:28

大阪城外に存在した“真田丸”の絵図が松江歴史館に。

 そろそろ終盤にさしかかったNHK大河ドラマ「真田丸」のメインテーマである大阪城の出城(やぐら)“真田丸”が、現在のどの辺りにどのような状況で存在したかは最近まで明確ではなかったが、このほど島根県松江市の松江市立歴史館でその絵図が発見された。



 そもそも大阪城は家康に攻め滅ぼされ焼かれてしまったため、今やお城そのものの存在さえ明確ではないし、堀も埋め立てられてしまったので、今の我々には往時を偲ぶ事ができない。
 現在の大阪城を、我々は大阪城だと思ってしまうが、実はもっと土中深いところだったとのことである。
 更に真田丸は東軍をさんざん苦しめたのであるから、徹底的に取り壊され、その存在した話だけが伝わり、実像は徳川二百数十年間知られなかった。
 
 大阪冬の陣・夏の陣の直後に描かれたと思われるこの真田丸は、実にリアルで興味深い。
 この図を見ると、真田丸のあった辺りは高台で、周囲は谷(掘)と、人の手で造られたものと思われる惣(総)構掘に囲まれており、掘(谷)の外側の北と東はぐるっと畑である。
 東側に「この辺り(?)は皆畑ナリ」とある。
 惣構掘の中にも何か書き込みがあるが読めない。また、南側の通路状のところには「内」とあるから、この方向(南)が大阪城なのであろうか?
 あるいは、この台地の北側に更に掘と谷に囲まれた所に「出丸」とあるので、ここだけが真田丸なのであろうか?
 その手前の南側に三つの寺などがあることから、大阪城の北側の大きな台地の、その先の谷の上に造ったのが「真田丸」なのであろう。
 東・西・北は深い谷で、南側は深い内堀であったらしい。

 雲州(出雲)松平藩は徳川御三家に次ぐ御三卿の家柄であり、更に江戸から遠く離れていたために、こうした貴重な資料が残っていたのであろうことは大いに頷ける。

 私はことしの始めにこの松江市立歴史館で講演をさせていただいたが、その歴史館でこのような大発見がったことも大いなる喜びである。

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